フォトグラファー内藤律子の『思い出の名馬たち』 vol.2
2021/07/13
カテゴリ:馬のはなし / 色々なはなし / 人のはなし / Pacallaオリジナル
1990年にはJRA馬事文化賞を受賞。オグリキャップをはじめ、これまで数多くのサラブレッドを撮影してきたフォトグラファーの内藤律子さん。「愛しのサラブレッド」「神威の星」「オグリキャップの子どもたち」「わたしはサブリナ」「サラブレッドの四季」「サラブレッド浪漫」「白の時間」などの写真集を出版し、全国各地で写真展を開催してきました。
そんな馬産地フォトグラファーのレジェンドである内藤さんが、この度『思い出の名馬たち』について、、Pacallaで数回にわたり綴ってくださることになりました。ぜひお楽しみください。
やんちゃな仔馬だった『ハギノカムイオー』
初めてカムイオー(競走名ハギノカムイオー)に会ったのは、「競馬報知」の取材のためでした。親子の仲睦ましい写真を…とのことでしたが、カムイオーは放牧するとすぐ友達の方へ行ってしまう仔馬でした。母馬の側にいるのはお乳を飲む時だけで、結局、厩舎の窓から顔を出した写真になってしまいました。
その後、仔馬を追いかけるのもいいかぁと9月の離乳にも立ち会わせてもらうことに。あの時の澄んだ瞳、今でも思い出します。あのセリの後も、2歳の春、競馬場に出発するまで、何回か会いに行きました。その夏、私は8月から6ヵ月アメリカに行っており、デビューは、荻伏牧場の奥様の手紙で教えていただきました。戻ってからは毎レース応援に行き、14戦8勝(重賞6勝)で戻ってからは子供や孫達を追いかけていました。お蔭で、胆振から、襟裳まで各地の牧場を巡り歩きました。
ハギノカムイオーの幸せな晩年
カムイオーは34歳と10日、長生きしてくれました。その間も、オーナーの日隈氏ファミリーが毎年訪れてくださいました。
人間と同じように白内障になり、耳も遠くなったように思います。認知症が出ていないかと木の陰に隠れたりして、様子を見ていると、気がつくとそばまで来てくれました。ファンの方との記念撮影にも収まり、お土産の人参、リンゴを美味しそうに食べていました。幸せな晩年だったと思います。
オグリキャップとの出会いはライバルの厩舎にて
私とオグリキャップとの最初の接点は、1988年5月8日、ハギノカムイオーの子供タケノカムイオーの応援に行った日でした。9Rたちばな賞を勝ち、喜んで、厩舎に向かい目にした光景に言葉がありませんでした。その日、オグリキャップが、中央での3戦目、毎日放送京都4歳特別(G3)を勝った時、私はぼおっと診療所の前に佇んでいました。
オグリキャップのライバル、スーパークリークはハギノカムイオーと同じ伊藤修厩舎。タマモクロスの小原厩舎には、カムイオーの子供、タマモージュがいました。オグリキャップの現役時代、私はライバル達の側にいたのでした。
私が初めて、オグリキャップを取材したのは「アサヒグラフ」の依頼によるものです。それからはスタリオンに時々お邪魔するようになりました。そんな時、オグリキャップの初産駒をすべて撮り、写真集に…との話をいただきできたのが「オグリキャップの子どもたち」でした。13000部とやはりアイドル並みの部数ですよね。
しかし、走る姿を見たいと、放牧地に空き缶を投げ入れたり、タテガミや尻尾の毛を切ったり、厩舎に入り込むファンまで出てきてしまったのです。そのため、だんだんファンとの距離が離されてしまいました。また、産駒の成績もイマイチでしたので、マスコミの取材を受けることも少なくなっていきました。
最期のその日まで『みんなのアイドル』だったオグリキャップ
そんな2004年、私は6冊目の写真集「サラブレッド浪漫」の写真展を全国5ヵ所で行いました。その時、展示したオグリキャップのたった1枚の写真の前で、多くの人が語り合う姿を見つけたのです。そうだ、オグリのファンはオグリの今を知りたいのだ。そう思い、2007 ~2008年にかけて「あれから16・17年オグリキャップは元気です」の写真展を行ったのでした。
等身大の写真の前で、記念写真を撮るという企画は大成功、今も、新冠のオグリキャップメモリアルに飾ってあります。あの、2008年の東京競馬場でのお披露目の時には私も感動しました。
2010年の春先、やっと又、オグリキャップとファンのための交流のためのパドックが作られ、解放されたばかりの、7月3日、オグリキャップはあっけなく旅立ちました。それでも、みんなに惜しまれ、盛大なお別れ会、やはりオグリキャップは最後まで、みんなのアイドルでした。
内藤律子
【クラウドファンディング】
サラブレッドの気高く愛らしいカレンダーを復活させたい!
内藤律子さんは2009年よりオグリキャップ&サラブレッドカレンダー、2014年よりとねっこカレンダーを作ってきました。
しかし昨年は、資金難やコロナ禍の影響により制作が不可能に…。
12年間作ってきたカレンダーを復活させたい、そんな想いで内藤さんはクラウドファンディングに挑戦しています。
ぜひ特設ページをご覧ください。
▼内藤律子さんインタビュー動画