フォトグラファー内藤律子の『思い出の名馬たち』 vol.3

2021/08/11

カテゴリ:馬のはなし / 人のはなし / Pacallaオリジナル

1990年にはJRA馬事文化賞を受賞。オグリキャップをはじめ、これまで数多くのサラブレッドを撮影してきたフォトグラファーの内藤律子さん。「愛しのサラブレッド」「神威の星」「オグリキャップの子どもたち」「わたしはサブリナ」「サラブレッドの四季」「サラブレッド浪漫」「白の時間」などの写真集を出版し、全国各地で写真展を開催してきました。

そんな馬産地フォトグラファーのレジェンドである内藤さんが、この度『思い出の名馬たち』について、、Pacallaで数回にわたり綴ってくださることになりました。ぜひお楽しみください。


 

競馬場に通いつめた日々

サラブレッドの写真が撮りたくて、千葉や栃木の牧場に通っていた頃。後の1982年の皐月賞馬アズマハンターの生産牧場の出羽龍雄氏に「やはり、サラブレッドの舞台は競馬場だよ」と言われ、競馬会の広報室を紹介していただきました。

しかし、牧場とは違い、全然うまくいきません。それからは、1976年のお正月から毎週土日、1〜12R通いつめたのでした。その年の皐月賞馬がトウショウボーイ、私は柵の外よりカメラを向けていました。そして1977年、あの有名なトウショウボーイとテンポイントの一騎討ちだった有馬記念の日、私は「競馬報知」のスタッフとして、中山競馬場の屋根の上から4コーナーを狙っていました。しかし、撮影に失敗し、報道写真の厳しさを思いっきり味わったのでした。チーフの樗木氏に怒られましてが、当然のことなので反省するしかありませんでした。その裏で、写真部チーフの一言には泣けました。1964年の東京オリンピック以来の女性スタッフということで、相撲やサッカーの撮影などもさせていただき、楽しい思い出がいっぱいの1年半でした.

トウショウボーイ(撮影・内藤律子)
トウショウボーイ(撮影・内藤律子)

トウショウボーイ(撮影・内藤律子)

 

サラブレッドの魅力を教えてくれたトウショウボーイ

その後、トウショウボーイは超一流の競走馬として君臨し、やがて、父テスコボーイの後継種牡馬として日高に凱旋していきました。父と同じく「お助けボーイ」として日高の生産者の憧れの的となり、三冠馬ミスターシービーの父ともなったのでした。

しかし、あんなに雲の上のような存在だったトウショウボーイでしたが、私には可愛く、魅力的な被写体でしかありませんでした。今でも、ボーイほどの美しく、雄大なサラブレッドを知りません。シンザンのような威圧感やカブラヤオーのような愛らしさとは違い、ボーイとの駆け引きは私の撮影意欲をくすぐりました。

トウショウボーイ(撮影・内藤律子)
トウショウボーイ(撮影・内藤律子)

ボーイには、いつもくつろぐコーナーがありました。私がそのコーナーを独占すると怒ってちょっかいをかけてくるのです。その表情や仕草が撮りたくて毎回挑戦していました。放牧地には大きな木があり、そこで見せるくつろいだ表情も魅力的でした。本当に、サラブレッドの魅力をいっぱい教えてくれた存在でした。

トウショウボーイ(撮影・内藤律子)

トウショウボーイ(撮影・内藤律子)

内藤律子


 

【お知らせ】

8/12(木)に、HBC北海道放送の『カーナビラジオ午後一番!』のコーナーで内藤律子さんの写真展が紹介されます! 14時50分から7〜8分の予定とのこと。ラジコでも聴けると思いますので、ぜひチェックしてみてくださいね!

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