\有馬記念直前企画!/ 絵日記風・やりゆきこの有馬記念エピソード

2021/12/22

カテゴリ:Pacallaオリジナル

 

こんにちは、Pacalla 編集部のやりゆきこです!来たる12月26日は有馬記念ですね。競馬も乗馬も万年初心者、競馬歴も読者の皆さんよりだいぶ浅いわたしですが、それでも有馬記念というキーワードだけで、それなりの数の思い出がうかんでくるので、やっぱり有馬記念ってやつは本当にすごいなと思います。そんなわけで、今回は有馬記念にまつわる4つのエピソードを絵日記風にゆる~くお届けしいたします。

 

<EP①>競馬との出会いはオグリキャップ?かもしれない

 

皆さんが競馬というものの存在を知ったのはいつでしたか?子どもの頃、お父さんがやってた!なんて人も多いのではないでしょうか。私の知人は「今日は馬の動物園に行こうか」と言われ、幼少期から競馬場に連れられていたものの、ずっと動物園だと思っていたそうです。

わたしが競馬の存在を知ったのは恐らく幼稚園のとき。当時はいわゆるオグリキャップブームでした。オグリキャップは1985年3月27日生まれ。人間でいうと早生まれなので学年は異なりますが、わたしも1985年生まれなので、なんだか親近感を持っています。

オグリキャップが活躍した1989年前後、わたしは4~5歳かそこらでしたが、ぬいぐるみのことをなんとなくおぼえています。幼馴染のお父さんがオグリキャップのぬいぐるみを持っていたのです(←若干、持ち主が誰だったのか記憶が曖昧ではあるのですが、パチンコの景品をよくくれたので、多分競馬をやっていたのもこの人だろうと勝手に思っています笑)。最終的にそのぬいぐるみを貰ったような気もするのですが、そこのところは定かではありません。当時、ぬいぐるみについているメンコをむりやり剥がそうとしていような…そんなぼんやりした記憶も(笑)。まあとにかく、今思い返せば、これがわたしの競馬とのファーストコンタクトだったのだと思います。

その後、オグリキャップは成績がふるわない時期を経て、1990年第35回有馬記念で武豊ジョッキーと有終の美を飾ったのはあまりにも有名な話。まわりにオグリキャップ好きな大人がいたのであれば、わたしが「アリマキネン」という言葉を初めて耳にしたのもこの時期だった可能性が高いのでは?! もちろん意味わかっていないでしょうが。

ちなみに約10年後、わたしはこの時のオグリキャップ引退レースの実況で、興奮のあまり武豊ジョッキーの右手と左手を間違えて叫び話題となった、大川和彦アナウンサーの出身高校へ進学することになるのでした。

 

<EP②>クリスマスよりも…有馬記念!!

 

 

今じゃ考えられませんが、20代半ばの元気なころはこんな地味な私でも仲間内でクリスマスのイベントごとをやっていました。当時はみんな若かったので、当然朝まで呑むことになります。途中で帰る人なんてもちろんいない、と思っていました。しかし気が付くと、一人足りないではありませんか。そう、明け方にA君が消えていたのです。いつも付き合いのよい彼でしたが、この日は一人抜け出して、始発で有馬記念に備えていたようです。

彼の中で『有馬記念』だけは、友人の誘いを断っても、現地に足を運ばなければならないものだったとのことでした。やっぱり有馬記念の威力はすごい。そういえば彼は酔っぱらうと、相手の興味の有無にかかわらずよくマツリダゴッホが勝った有馬記念の話をしていたな…。

そんなA君のことを『競馬のために始発って…ようやるなぁ』と当時は思っていたのですが、その後、わたしは奇しくも乗馬と出会い、乗馬クラブでステイゴールド産駒と出会い、競馬に興味を持ちはじめ、A君に競馬場に連れて行ってもらうことになるのでした。

ちなみに、初めて競馬場に行ったときに、一緒にきてくれた女友達の一人が、今はA君の奥さんです。今年の『もくしをつなぐプロジェクト』では親子三人で仔馬用のもくしを作ってくれました。パパ、ママという言葉よりも先に『ウマ』という言葉を覚えたというご子息は、さぞかし馬好きに育ってくれることでしょう。

 

<EP③>遠くの親類より、近くの他人より、Twitter?!

 

 

それまで競馬場に行くときは、競馬上級者にくっついていくことがほとんどだったわたしですが、2015年の有馬記念は違いました。なんと、わたしが当時の会社の同僚の皆さんをアテンドすることになったのです!

参加者は8人で、その約半分が競馬未経験。そして、わたしはある程度競馬に詳しいと思われている…。当日、何か聞かれたときに答えられないのはカッコ悪い。だけど短期間で上級者並の知識を蓄えるのはとても無理…! そんなわけで、わたしは『有馬記念のしおり』を作ることにしました。いわば公のカンペなのですが、これならだいぶポジティブな印象になるはずです。

 

 

▲当時撮っておいた写真。我ながら無駄に力作である

 

馬券の買い方、競馬場内の案内図、出走馬のまとめなど基本情報の他、プレゼンターの芸能人(有村架純だった!)やファンファーレを演奏する航空自衛隊の情報まで幅広く掲載したそれは概ね好評を得ていました。競馬のことを語るスキルは当時も今も持っていないけれど、こういった資料を作るのは割と得意です。しおりの他に全員分のホッカイロも準備しました。ほらなんか、有馬記念のことをわかってる人っぽく見えませんか?(笑)

しかし、このような事前資料を作成してもなお、もやっとしていることがありました。それは、激混みの中山競馬場(実際、当日の入場者数は12万人を超えたらしい)で、参加メンバー全員がそろってゴールを見守るなんてことがはたして可能なのか?ということです。せっかく初めて競馬場に来てくれる人がいるのに、ちゃんと見れなかった…なんてことになったら大変です。大きな機会損失です。でも、自分自身も経験が浅いので、直前に不安になり、その気持ちをTwitter に書き込みました。

 

すると、なんと救世主が現れました。

 

何時に競馬場のどこへ行き、このタイミングでごはんを食べ、何時までには馬券を買い、何時までに●●スタンドのこの位置を確保できれば、おそらくしっかり観戦できるだろう…といったような、当日のスケジュールを競馬上級者の方が考えてくれたのです。これはもう、遠くの親類より、近くの他人より、Twitterといっても過言ではありません!

おかげさまで、当日は8人そろってゴールドシップの引退レースを見届けることができました。これからもSNS での交流は大事にしていこうと心に誓いました。

 

<EP④>有馬記念あるある…結局東京大賞典も行く

 

 

有馬記念にはお祭り的な要素もあり、年末のイベント感もあり、これまで誰かと一緒に行くことがほとんどでした。特に、複数人の競馬好きグループで行くことが多く、そうするといつも『今年も競馬納めだね~』なんて話ながら有馬記念を楽しむことになります。レースを楽しんだ後の飲み屋では『今年も来れてよかったね、納まったね』なんて話にも当然なります。

ですが、有馬記念で馬券を外したわたしはなんだか納まった気がせず。かといってみんなの話に水を差すのもな…と思うので、その場では共に「納まった顔」をするのですが、数日後、結局ひとりで大井競馬場に向かうのでした。そう、今度こそ競馬納めだ!と意気込んで東京大賞典へ参戦するのです。これが、コロナ禍以前のわたしの有馬記念あるあるでした。

最初にひとりで行ったときはちょっとドキドキしたりもしたのですが、東京大賞典に一人で行ったことをきっかけに、みんなでワイワイもいいけれど、ひとりでゆるゆると競馬場で過ごすのも悪くないなと思うようになりました。他のレースの日も、ひとりでフラッと競馬場に行くように。自分なりの新たな競馬場の楽しみ方を発見することができました。

本当なら今年も、みんなで有馬記念を観戦し、3日後には東京大賞典を現地で見て、帰りにスモモモモモモモモのピンクのぬいぐるみと、リピート買いしているうまたせ君ソックスをゲットしたいところでしたが、もう少しだけがまんです。はやく、何も気にせず、誰でも当日気軽に、思い立ったときに競馬場でワイワイしたり、ひとりぼーっとしたりできる日がくるといいなと思います。

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