高貴な人が乗るだけじゃなかった! 馬車のはじまりと『はたらく馬車』

2021/05/03

カテゴリ:色々なはなし / Pacallaオリジナル

こんにちは。Pacalla編集部のやりゆきこです。突然ですが皆さんは日常生活のなかで『馬車』を見たことはありますか? テーマパークやイベントごとを除くと、自動車が発達した現代で、なかなか馬車に触れる機会というのはありませんよね。

特に日本は、江戸時代に幕府が街道での車両の使用を禁じていたこともあり、車両交通(馬車)が長い間発達しなかったと聞きます。さらに、明治時代に入っても道路より鉄道の整備が優先されたため、歴史を振り返ってみてもヨーロッパ諸国と比べると馬車に馴染みの少ない国なのかもしれません。とはいえ、馬と人の文化史を学ぶうえで『馬車』の存在は欠かせない…! ということで、今回は馬車について学んでいきたいと思います。

 

乗馬と馬車はどっちが先だった? 馬車のはじまり

当然のことながら、馬車を利用するということはウマが家畜化されていなければなりません。新石器時代の末(※1)にはウマ家畜化がはじまり、それが進むにつれて、人々はウマが大きく3つの用途…『乗用馬』『役畜(※2)』『輓用馬』として役に立つことに気がつきました。

ウマの活用については馬車よりも乗馬が先だったとされることも多いのですが、現在も専門家の間では議論が分かれています。現在、英ケンブリッジ大学の元獣医学部長であったリオ・ジェフコット教授をはじめとする研究チームは、解剖学によってこれを明らかにしようとしています。乗用馬の場合、人が座る位置の胸椎に骨沈着などの変化が起こることが知られており、これらは今のウマも古代のウマも共通です。これまで発掘された古代のウマたちが乗用馬だったのか、輓用馬だったのか明らかにするヒントとなるというわけです。(解明されるのが楽しみ…!)

馬の胸椎

 

前置きがずいぶん長くなりましたが、家畜化された初期のウマが乗用馬たったのか、輓用馬だったのか明言できない…つまり、馬車のはじまりというのも正確にいつ頃だったのかははっきりしていないことになります。ですが、紀元前2800~2700年の古代メソポタミアの遺跡からは、馬車の粘土模型が発掘されていました。この模型が、映画などでよく見かける古代の二輪戦車『チャリオット』だったといわれています。

二輪戦車『チャリオット』チャリオット(イメージ)

最初の大型の二輪戦車(チャリオット)は、丸太を切っただけの車輪に、回らない固定の車軸がついたものでした。その後スポークのある車輪が発明され、二輪戦車は軽量化していきます。これによって二輪戦車は人類の戦闘に必要不可欠なものになりました。

そこから人類は馬車の改良を重ね、私たちのイメージする四輪馬車(車体に固定されずに旋回できる旋回車軸のついたもの)が普及したのは、中世(※3)に入ってからでした。

 

(※1)ウマの家畜化が始まった正確な時期についても、専門家の間では意見が分かれている
(※2)役畜:農耕や運搬などの労役に用いられる家畜
(※3)中世:5世紀から15世紀

 

「はたらく車」ならぬ「はたらく馬車」がたくさんあった!

中世以降は、多くの国で今の自動車のように、あらゆる場面で馬が必要とされるようになります。鋳造金貨や石炭など重いものを運ぶ荷馬車の他、現代のいわゆる『はたらく車』の役割を馬車が担っていたのです。ここではいくつかの『はたらく馬車』をご紹介したいと思います。

 

  • 駅馬車

鉄道が普及する前に広く用いられた旅客や貨物を輸送する屋根つき馬車の一種。英語で stageやstationという施設の間を定期運行していたため『駅馬車』と呼ばれた。

駅馬車

 

  • 幌馬車

アメリカの最初の移動住宅。風雨や砂ぼこりなどを防ぐための防水布(=幌)を取り付けたテントのような馬車。子どもや財産をすべて幌馬車に載せた。

幌馬車

 

  • 救急車

第一次世界大戦では、二頭の馬やラバで曳く救急馬車が使用されるように。赤十字の旗やマークがついた、いかにも救急車らしい装いだったそう。

 

  • 狩猟用大型四輪車

今でいう軽トラのような形の車を馬が曳いた。荷台部分に乗客が立ったまま乗り、狩りを行ったらしい。1880年代にイギリスなどで使用された。

 

  • 霊柩車

御者は黒い喪服を着て、馬も黒い頭飾りや後半身にも馬着のような黒いビロードの布をかぶせたりして霊柩車を曳いた。ただし、国の文化の違いによっては黒い以外のカラーも。

霊柩馬車

 

  • 護送車

囚人を運ぶ護送車も馬が曳いた。他の馬車とは異なり、窓が小さく格子がはまっていたそう。イギリスのヴィクトリア朝時代(1890年頃)の護送馬車には王家の紋章が描かれていた。

 

  • 牛乳配達車

1950年頃、イギリスでは牛乳配達用の馬車が使われていた。また日本でも、明治初期には蒸気缶を積み、飲用者の前で殺菌消毒しながら配達する牛乳配達馬車が活用された。

 

  • 馬牽き蒸気ポンプ

消防用蒸気ポンプを積んだ車を馬が曳いた。明治32年には国産車が製造された。
まきに火をつけ石炭で火力をあげ蒸気を発生させ、放水に必要な圧力が得られるまで約20分を要した。

馬牽き蒸気ポンプ

 

競技・スポーツの世界の馬車

現代では世界中で自動車や鉄道が広く普及し、一般に馬車を見る機会は極めて少なくなってしまいました。しかし、スポーツの世界では現在も馬車を使う競技があります。ひとつは以前、Pacallaでもご紹介した繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう)という競技。これは繋駕車と呼ばれる一人乗りの二輪馬車を馬につないで速歩で行う競馬のレースです。

>ギャロップ禁止の競馬って? 繋駕速歩競走について調べてみた

もうひとつは、馬術競技の『馬車』です。馬車そのものには長い歴史がありますが、国際的な馬術競技としてのルールは1969年にやっと世界馬術連盟によって制定されました。四頭立てチームを対象として始まった競技でしたが、大変な人気を博し、現在では二頭立て競技やポニーにおいても大きな競技会が開かれています。

馬車競技は『ドレッサージュ』『マラソン』『コーン障害』の3種目を3日間かけて行います。ドレッサージュでは馬場馬術のように決められた演技を行い、マラソンでは10〜22kmほどのコースを馬車で走り抜けます。総合馬術のクロスカントリー同様、水の中を走り抜けたり、野山を走り回ったりするコースが設定されることもあるそうです。そして最終日には、コーンが設置されたコースをできるだけ早いタイムで走り抜ける障害競技が行われます。

>初心者でも楽しめる『馬場馬術』観戦ガイド

>初心者でも楽しめる『総合馬術』観戦ガイド

 

◆◆◆

 

いかがでしたか? 馬車というとどうしてもヨーロッパの高貴な人が乗っていたもの…というイメージがありましたが、今回調査していくうちに、自動車が発達する以前には、いろいろな役割を担った馬車が存在していたことを知ることができました。Pacallaでは馬と人の文化について今後も調査を続けていきたいと考えています。次回もどうぞよろしくお願いいたします!

 

参考文献およびウェブサイト

・AtoZinba / 公益社団法人 日本馬術連盟
・図説 馬と人の歴史全書 (日本語) 単行本/キャロライン デイヴィス(1997年発行)
・馬の百科 (「知」のビジュアル百科)/ ジュリエット クラットン=ブロック(2008年発行)
・ウマの博物図鑑/デビー・バズビー&カトリン・ラトランド(2021年発行)
・図説 馬と人の文化史 / クラットン=ブロック(1997年発行)
東京で道路よりも鉄道が発達した3つの理由 / 川辺謙一(2021年4月閲覧)

 

一部協力

消防博物館

 

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