Tempo animato ー尾張の独奏会ー

2018/03/09

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

浮世で人間として暮らす以上、どうやってもストレスを感じる。

テメェが招いたモノから、他人から理不尽に突きつけられたモノまで。コイツを上手く往なし、生きていく術を持っているアランの様な人はさて置き、大抵の人々はストレスに押し潰されがちな生き方を強いられている。
斯く言う私も平日、ペチャンコに潰されるくらいのストレスを感じながら生きている。それでも潰されずに、今こうして稚拙な文を書いていられるのは、有り体に言って競馬とサラブレッド達のお陰だ。
土曜日の午前9時。競馬場に入った瞬間、全てが洗い流される。広々とした馬場を、精魂尽き果てる覚悟で疾走する馬達を見ていると、自分の抱えていたそれが”チッポケなモノ”と化し、夕方になる頃には、「全体、私は何を悩んでいたのだろう?」と思うような状態になっている。
同じ金を払うなら精神科医に診てもらうより、お馬さんに相談した方がいいと思う。医者のようにハッキリと助言はしてくれないけど、彼らは私達に何かを語りかけてくれる。背中で語る、というやつだ。(敢えて休日の夕方の悩みを挙げるなら、何故か左ポケットにギッチリ詰まった紙屑についてか?)

ストレスが極限に達した状態の日もある。眼に映るもの、耳に聞こえるもの全てに憎悪の念を感じ、どうしようもない時。私は馬券予想をやらず、走る馬をただひたすらに眺めるようにしている。これをやると、大体9レースを迎える頃、先の状態に達し、またまた夕方には紙屑の悩みしか存在しなくなるのだ。

ああ。お前は何と気持ち良さそうに走るんだ。

無意識競馬観戦で、こう思わせてくれたのがサイレンススズカだった。

1998年5月30日。
土曜日の中京競馬場は、気持ちの良い晴空だった。ほのかに夏の香りを帯びつつある薫風に吹かれた芝生は、海原を想起させる揺らめきを見せ、そよそよと靡いていた。
サイレンススズカが挑んだのは、この日のメインレース、金鯱賞。当時の金鯱賞は、尾張から夏のグランプリを目指す古馬達が集う重要なステップレースだった。
この年の冬、逃げる喜びを知ったサイレンススズカは最も勢いがある魅力的な一頭のポジションにいた。

ゲートが開く。
スズカは、逃げ馬特有の格好良さである”テンのガムシャラさ”を見せない。全く無理せず弾むようにフルスピードで加速する。1コーナーを周る頃には、もう手綱を握る武との快適なフライト態勢に入っていた。
グングンと後続を引き離す。そこに捕まれば負けてしまうという緊迫感は皆無。鼻歌でも聞こえてきそうな走りで、いたってマイペースの大逃げを敢行した。

その日、競馬場にはお前と武しか走っていなかったのか?

人々にそう思わせた彼はただ一頭、ポツンと孤独に4角を周り、最後の直線に入る。
サイレンススズカは意外とサディスティクな馬だ。九分九厘勝ちは確定しているのに、一切スピードを緩めない。まだまだ離すよ。と、やはり楽しげにギアを上げた。手加減という優しさを知らないのだろう。
こんな走りを見せられたら、例えサイレンススズカの馬券を持っていなくても愉快でたまらない。
馬って走るの速いなぁ(笑)なんて当たり前のことに気付かされた時、スズカはゴール板を通過した。
タイムは1:57.8のレコード、着順掲示板に示された2着のミッドナイトベットとの差は『大』の一文字。障害レース、或いは競馬ゲームでしか見られない表示である。

久々にスズカの金鯱賞を見て、私は何故だか急に全速力で駆けたくなった。
距離は同じ2000mに設定。後先考えず力任せにテンから飛ばした。結果は計測不能のタイムオーバー。情けないことに、走り終えたあとバタリと倒れ伏せてしまった。
酸素を求め荒ぶる呼吸機能、破裂寸前を思わせる心臓の鼓動といった肉体の限界信号を感じつつ、仰向けで空を見上げると、鬱陶しいくらい気持ちよく晴れていた。

適当なペースてのは、個人個人で違うのだよ。

サイレンススズカに笑われた気がした私は、さっきまで抱えていたストレスという概念をすっかり消失していた。

 

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