己の道を驀進せよ。
2018/09/28
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
最近の学校の先生達は、生徒の名を読むのに苦労されていると聞く。いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前は、確かにパッと見ただけでは読むのが難しい。しかし、親御さんは何かしらの意図、考え、願いを込めて付けたのだから、キラキラネーム文化をケッタイなモノと斬り捨てるのは、頭デッカチな考えではないかと思う。名は体を表す。キラキラと眩しい名を与えられた子供達が、その名の通り素晴らしく愉快な人生を歩んで行って欲しい。と、生涯独り身を誓う私は思う。
我らが競馬界もいつ頃かはわからないが、馬達の名前にずいぶん洒落た言葉が用いられるようになった。
神話の登場人物、街や通りの名前、使われる言葉も英語を飛び越し、ドイツ、フランス、スペインと国際色豊かだ。いつぞやの当エッセイで、競馬をやってれば勉強になる。と記したことがあった通り、馬名を見てると色んな知識が身につく。いつの日か、予備校に「競馬勉強法」として売り込んでやろう。(無論、有料で。)
とは言うもの、シンプルなものが好きな私は、分かりやすい馬名に心を惹かれる。今週はスプリンターズSが行われるので、このレースの勝ち馬を振り返ってみると、やはりサクラバクシンオーをいの一番に挙げずにはいられない。
父サクラユタカオー、母サクラハゴロモ。境勝太郎と小島太という桜花の似合うホースマンに育てられた彼は、その名の通り驀進王だった。
兎に角、電撃戦に強い。頑張れば1ハロン延ばして1400mもこなせるが、マイルは厳しい。万能ホースが求められる昨今の競馬界では、あまり見かけなくなったスペシャリストなサラブレッドだ。
黒鹿毛の重戦車が、中山、府中、淀の芝を逞しく圧迫する最中、1200はバクシンオー、マイルはフーちゃん。という雌雄を超えたライバル関係があったことも覚えている。ノースフライトは才色兼備なサラブレッドだった。彼女のことは、またどこかで項を改めて書き記したい。
白鳥が見守る淀でフーちゃんと戦ったバクシンオーが、最後の舞台と決めたのは師走中山の6ハロン。自身が最も光り輝く舞台、1994年12月18日の第28回スプリンターズSだった。
デビュー以来、ずっと自身の手綱を握り続けた小島を背に、一瞬のうちに終わる熱狂の舞台へ飛び出した。
ホクトフィーバスがハナを伺う。それに続けと、押してヒシクレバー。その後ろに、2年後の同舞台で後世に語り継がれる名勝負を演じるエイシンワシントンが陣取った。
時空を超え、異次元にワープすることになっても構わない。選りすぐりの韋駄天達は、恐れることなく己の限界スピードで駆け抜ける。ここが電撃戦の魅力だと思う。鈍足な私にとって、スプリンターホースはヒーローみたいな存在だ。
バクシンオーは、その一団の後ろ。アメリカから来日したソヴィエトプロブレムを外に併せ、”流れに乗っていた。”
通常なら身を任せるしか術のない急流も、彼にとっては小川のせせらぎだったのだろう。
あっという間に4コーナー。桜色の服が動く。小島の手は微動だにしていない。彼は自身の意のままに、最強のスピード能力を有するエンジンをぶん回した。
ヒシクレバー先頭。その外、坂の手前。来た、バクシンオーだ。とんでもないスピードで、グングン加速する。
騎手になりたいから。と、幼少期に押入れに閉じこもり、身長の伸びを抑え込もうとした長身の小島は、馬上からフジテレビの塩原アナが言う「最後の愛の鞭」を入れた。
止まらない、止まらない。瞬間的な速さ、それをハイレベルに持続させる稀代のスプリンターとしての体力。アイルトンやミハエルが操縦するマシンを持ってきても、この時のバクシンオーには敵うまい。と、私は思っている。
走破タイムは1分7秒1。7年後の第35回スプリンターズSで、トロットスターが破るまでの間、このタイムはバクシンオーの壁として、日本と世界の韋駄天達の前に立ち塞がった。この辺りに、俺は世界で一番速い。という、王としての威厳を感じる。
種牡馬としても、サンデー旋風に立ち向かう内国産のエースとして子供達を競馬場に送り出してくれた。血は争えないということなのか、子供達も父に良く似た速い馬が多かった。と思えば、孫にキタサンブラックが現れる。いやはや、サクラバクシンオーという馬の可能性は計り知れない。
彼に倣って、私も1200mを走ってみた。テンから全力で駆けた結果、タイムは7分少々。競馬会も呆れるであろうタイムオーバーな結果だ。
遅いなぁお前。相手にもならないよ。(笑)
息を切らしてその場に倒れた時、何億馬身差離れた場所で、バクシンオーに笑われた気がした。