神風に吹かれて
2018/02/01
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
これは将来が楽しみだ。
きっと素晴らしい人物になるね。
と、周りから持て囃され、幼少期から青年期は神童、天才という称号を欲しいままにした。
ところが、社会へ出ると結果を出せない。凡人的観点から見ると、十二分に立派な成果を上げているが、先の期待がそれを認めさせなかった。
いつの間にか周囲の人は、潮を引いたように去り、独り底へと転がって行った…。
私のような底でクダを巻くどうしようもないダメ人間には縁の無い話だが、この手の話は人間社会のよくあることだ。
ところ変わって馬社会を見ると、彼らの社会にも同じような事象がある。
一回の怪我で全てが狂ってしまった素質馬。
私は、そんな馬達を見ると馬券なんてクダラナイものを放ったらかして、つい熱くなってしまう。例え、全ての人が無視していてもだ。
1998年。大差で初勝利を挙げて、一気にGIまでブチ抜いた天才ホースがいた。
父Cozzene 母アドマイヤマカディ。大樹町で産まれた芦毛の少年、アドマイヤコジーンである。
素質豊かな若駒を見た人々はこの年、無敵のままターフを去った同郷の先輩、タイキシャトルの後継者と、彼に大きな期待を込めた。
しかし。前途洋々な芦毛の少年に、骨折という鬱陶しい悪魔が取り憑いた。ボルトを埋め込まれ1年と7ヶ月、彼は私達の前から姿を消した。
傷を癒し競馬場に戻って来たのは、2000年夏の函館。ここから再び、栄光を目指してアドマイヤコジーンは走ったが、結果が出ない。次こそはと期待を込められるも、白星が遠い。もがき苦しみ戦う彼に、ファンはドライな査定を下し、去っていった。
誰かが言った。
朝日杯がクラシック、名馬への登竜門なんて過去の話。あれは早生の馬が唯一、勝てる価値のないレースだ。
朝日杯はどこからどう見ても立派なGIレースである。その他のGIと同じく、勝てば生涯消えることのない栄誉を得られる。アドマイヤコジーンは立派なGI馬だ。と、心の中で怒りながら私は思っていた。
2002年1月27日。天才少年から悩めるおじさんになったアドマイヤコジーンは、この日行われた第52回東京新聞杯の舞台に立っていた。
人気は10番人気。過去の実績なんて全く考慮されていない屈辱的な人気だった。
偉大なる者達にとっての屈辱という概念は、ヤル気のガソリンみたいなものである。
アドマイヤコジーンは、そのガソリンを給油せず、頭から浴びて直接火をつけた。燃え盛る炎となった彼は、単勝4480円という穴をあけ、約3年ぶりの白星を手にした。嗚呼、アドマイヤコジーンかよ…。と、嘆いても後の祭り。彼を昔日の名馬へと押しやったファンの懐は灰となった。
それ見たことか!この馬はまだ腐っとらん!
輝きを取り戻した彼を見て、関係者でも何でもない私は、世界中に威張りたくなった。
エスコートした後藤の額には力強い書体で神風と書かれたハチマキが巻いてあった。
洒落の神風が言霊となって背中を押す。続く阪急杯も制し重賞を連勝。
高松宮記念では2着に入り、有力馬として大レースに挑む。という約束された場所に辿り着いた。
そして掴んだ二つ目の栄冠。7番人気で挑んだ安田記念で、アドマイヤコジーンは完全に復活した。朝日杯の輝きから約3年半。齢を重ね、苦しみを突破し、すっかり白くなった馬体が再び輝いた。
馬上では関東のトップジョッキーとして、馬を降りればファンを全力で楽しませようと躍起になるエンターテイナー、後藤浩輝にとってもこれが嬉しい初GI制覇だった。
どんな面白いインタビューをするかな?と、ワクワクするファンの前に現れた後藤は、オーナーの近藤利一氏と抱き合い、顔をクシャクシャにして泣いていた。
“面白い男後藤浩輝”はそこにおらず、ようやく掴んだGIジョッキーの称号に歓喜する”騎手後藤浩輝”がいた。
私はそんな後藤を見て、なんやねん。男のくせに情けないなぁ。と呟き、号泣してしまったことを覚えている。
あの時、勝ててよかったね。
なんて、東京新聞杯が行われる今週、空の上でコジーンと後藤は語り合っているだろうか?
出来ればその光景を、まだ地上で見たかった。