衝撃の砂塵

2018/01/26

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

 

空を飛び7冠を達成した英雄、ディープインパクト。その名の通り、彼が競馬界にもたらした衝撃は、底の見えない深さだった。

2006年に引退し、父となって12年も経つが、英雄の血を受け継いだチルドレンの活躍により、彼は今でも競馬界の頂点に君臨している。
今年はアイルランドの最強軍団、クールモアからも嫁を迎えたという。日本競馬界の頂点から世界の頂点に君臨する日も近いだろう。

そんなディープインパクトさんが競馬界に現れる4年前の2000年。
栗色の歌劇王が高らかに歌う世紀末に、ディープと同じ金子真人オーナの服飾を纏った一頭の牝馬がいた。

 

父Broad Brush 母Valid Allure。1994年にアメリカで産まれたフィリー、ブロードアピールである。

彼女がデビューしたのは、1998年の秋の札幌。(GIや重賞を増設するより、札幌開催を秋までやって欲しい。)
新馬戦、未勝利戦にも間に合わず、いきなり500万下の条件戦から競走馬生活をスタートさせた。
8番人気という低評価に反発し、この初陣を3着すると、間を空けず連闘でダートの1000m戦に挑み初勝利。過酷な生存条件をクリアした。

その後、条件戦を4連勝してオープンクラスに上がり、年が明けた2000年、シルクロードSで重賞初制覇。遅咲きのスプリンターとして、短距離戦線に活路を見出した。しかし、全身筋肉の屈強な快速野郎達には及ばず、なかなか白星を挙げられない日々を過ごす。

このまま燻って終わるのか…。普通なら絶望感が去来し始めるところだ。悩める彼女を預かっていた松田国英は、その状況をぶち壊す策に打って出る。
競馬界の常識を覆すことに、果てしない情熱を傾けていたこのパイオニアトレーナーは、ブロードアピールを再び砂上に戻した。
芝で重賞を勝った馬を再びダートに挑ませる。言葉で表せば容易いことだが、これは勇気無くして出来ない判断である。師には勇気しかなかった。

そして迎えた2000年11月12日。府中で行われるダートの重賞、根岸Sにブロードアピールは挑んだ。
ダート戦無敗、芝の短距離重賞Vという実績が買われ1番人気に支持されたが、今度は更に屈強な砂の猛者達が相手。波乱が想定される中でのトップ評価だった。
エイシンサンルイスら中央のダートホースに、北関東の女傑ベラミロードといった地方の強者15頭が砂上に立ちはだかった。

柔らかな秋陽の日差しに包まれて、頭が飛び出した。
抜群のスタートを決めたのは大外のベラミロード。Mr.ピンク、内田利雄は勇猛果敢に主導権を取りに行く。それに続いたのが、同じく地方東海からやって来たゴールデンチェリー。鞍上は、こちらも名手吉田稔。
他所者に支配されてたまるか!と、エイシンサンルイス、ノボジャックら中央馬は抵抗した。
ブロードアピールは、前がJRAvsNARの激闘になっていることなんて、我関せず。最後方をマイペースに進んだ。テレビ越しに見ていて、勝ちはなさそうやな。と思ったことを覚えている。

先行勢は4角を周り最後の直線へ。コーナーワークでエイシンサンルイスが一気に先頭へ躍り出た。初勝利時に2着を3.1秒離し、一躍時の馬となった逸材が重賞初制覇へ向けて突き進む。
番手以降の馬達の脚色は今ひとつ。パサパサの砂が猛者共の体力を奪う中、大外から一頭、トンデモナイ脚で伸びてくる馬が現れる。ブロードアピールだ。
一頭、一頭、また一頭。周りの景色が止まっている様に見える勢いで、馬群を飲み込んでいく。
先頭は依然、エイシンサンルイス。太宰の檄に応え、懸命の粘り込みを図る。
しかし、坂を登り終えた彼らの1馬身ほど前に馬がいた。まさか、信じられない…などと、唖然とする暇も与えず、ブロードアピールは、あっという間に時空を超えていった。

 

時は流れ18年。

施行時期も晩秋から真冬に変わったが、私は根岸Sと聞くと、いまだにゾクゾクと震える感覚を思い出してしまう。あの走りを見せてもらったから、例え勝算が全く期待出来ない場合でも、レースが終わる瞬間まで諦めない様になった。競馬は、サラブレッドは人間のチッポケな想像をあっさり超えるからだ。

視線を春に向ければ、魅力と夢しかない逸材がいる。
父ディープインパクト、母の父キングカメハメハ、祖母ブロードアピール。
金子ホースの結晶のようなあの駿馬が、頂点に立つ日、私はまた馬券を忘れて、競馬の衝撃に震えているだろう。

    記事をシェアする

    pagetop