王者の凱歌よ永遠に…

2018/05/31

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

2000年6月25日は、確か午後から雨だった。私はこの日、阪神競馬場にいて、ゴール前の最前列で競馬を見ていた。
メインレースに近づくにつれて空はいよいよ暗くなり、雨粒に耐え切れなくなった人々は傘の花を咲かせ始めた。
馬は雨が降っても雨合羽も傘も使っていないので、私は競馬場で雨具を絶対に使わないと決めている。結果、懐も含めて風邪を患っても、別段なんの恨みも持たない。

道中の攻防は傘でよく見えなかったが、1枠1番の馬がトップでゴール板を駆け抜けた姿は確と見届けた。幸運にもその馬の単勝券を持っていた私は、的中の喜びと雨の日特有の異様なハイテンションに感化され、その場で飛び跳ねた。そして、着地失敗。足を滑らせて地面に頭を打った。恐らくこの瞬間から、我が粗末な脳みそは、365日朝昼晩、馬のことしか考えられないウマ脳になったのだろう。人生とは、どこで面白い方向へ進むのか分からない。故に愉快なのだ。

私を真の馬狂人間にしてくれたその馬は、暮れの有馬記念まで負けなかった。府中の魔物、シェイクの愛馬、ライバル達のあからさまな包囲網作戦…逃げ出したくても逃げ出せない地獄の状況下に置かれても、来るなら来い。誰も俺には勝てやしない。と、覇王の風格を醸し出し、正面からそれらを撃破していった。
何馬身も突き離して勝つような馬ではなかった。勝つ時はいつも僅差。この辺りにサディスティックさを感じる。
我々がよく嗜む馬券で例えるとよく分かる。ハズレ馬券という紙屑は、直線で夢が消える馬券と写真判定で夢が消える馬券に分類される。
前者はこりゃダメだ。と、素直に諦めがつく。しかし後者は、下手すると一生悔しさを引き摺りかねない。彼は、ライバル達に後者の感情を一方的に植え付けたのだ。
故に、アンチも沢山いた。私の馬友達は、アンチばかりだった。
ナリタトップロードのファンだった友人は、辛酸をトップロードに無理矢理注ぐ彼のことを、本気で憎んでいたらしい。顔どころか名前を見るのも嫌だ!というのだから、その憎悪は本気だったのだろう。
メイショウドトウのファンだった友人は、夢にあの勝負服と和田の叫びが出てきて、うなされたという。さぞ辛い夜だったに違いない。
その怒りの矛先は、何故か私に向けられ、あの馬のせいだ!あの馬がいなければ!と、文句を言われ続けた。
コイツら、下手したら栗東にまで乗り込んでいってやりかねない。と思った私は「強すぎてごめんなさい。」と謝った。
火に油を注ぐとはまさにこのこと。ボコボコにされたが、彼がボコられる危険を阻止できたので、我が身の損傷など安い傷である。

しかし。いつまでも勝ち続けることは出来なかった。世紀が変わった21世紀、天皇賞春を制したが、これが1着で駆け抜けた最後のレースだった。
宝塚記念ではメイショウドトウに先着を許した。先に出た友人が悲願のGIタイトルを獲ったドトウを見て涙を流していたのを覚えている。
春から夏、そして秋へと暦が変わると風も変わる。王者の統治ではなく、新しい勢力の台頭を望む風がターフを吹き抜けた。
その風に乗り降臨したアグネスデジタル、ジャングルポケット、マンハッタンカフェらに負かされた王者は、有馬記念5着を最後に現役を引退した。
私はこの時、2000年の宝塚記念でグラスワンダーを応援していたファンの感情を知った。それは、悔しさと寂しさ、死なずに競馬場を去れることへの安堵が入り混じる複雑なのか何なのかよく分からない感情だった。

ダービーが行われた日曜日。あの日と同じ時刻、同じ場所に立って、誰もいないパークウインズ阪神の馬場を眺めた。

ただ一頭、内ラチ沿いへ進路をとったのはラスカルスズカ。懸命に粘るラスカルに、ジョービックバン、メイショウドトウが襲いかかる。グラスはいない。時代は変わったんだ。そう確信した刹那、外から力強く伸びる馬が現れる。和田のガムシャラな檄に応えて、グングン伸びるその姿は、巨人が挑戦者を捻り潰すような恐ろしい空想を想起させた。
パーっと舞うハズレ馬券や新聞紙。そこには練りに練った珠玉の予想が記されていただろう。グラスの復活を願った者、ラスカルに兄の幻影を重ねた者、アンカツとコンビを組んだステイゴールドに金メダルを夢見た者…。ゴミの紙吹雪と言えば聞こえが悪い。あれは夢の紙吹雪だ。その夢が去った後の現実にいたのが、勝利の歓喜を高らかに歌う栗毛の王者だった…。

そんな想い出の競馬が見えた時、不覚にも涙が溢れた。たかが競馬、馬が死んだだけで泣くなんて。と、競馬をギャンブルとしか考えられない頭でっかちな真面目人達は、思うかもしれない。
しかし、私に言わせれば競馬は我が人生の柱であり、その馬はかけがえのない友で、勇気をくれた存在なのだ。人生の柱、友を失ったら泣くのは当たり前だと思う。

今、私はある国家試験の受験に向け、何かに取り憑かれたように日々勉強をしている。テキストを一人で繙く独学、故に心が折れる時がよくある。そんな時は、王者の走りを思い出すようにしている。

絶望は終結なんかじゃない。まだ望みがある時間だ。

テイエムオペラオーは、どんな窮地に立たされても諦めることを知らなかった。そんな勇気あるサラブレッドと出会えたことに感謝の意を表する。
ありがとうございました。トップロード、ベガと仲良くのんびり暮らして下さいね。

 

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