テシオの「魔術」 ―スポーツ遺伝学からのアプローチ―(3)

2018/03/05

カテゴリ:馬のはなし / 人のはなし / Pacallaオリジナル

今日は前回に引き続き、スピードと遺伝子の関連について紹介する。

皆さんはアルファ・アクチニン3(ACTN3)という遺伝子をご存知だろうか?この遺伝子は、ヒトではアスリートにおける競技能力やスピードと関連することが報告されており、世界中のスポーツ遺伝学研究者が現在も注目している遺伝子である。

骨格筋は筋線維タイプのよって大きく2種類に分けることができる。
・「速筋線維」(筋収縮速度が速く・発揮パワーも大きい)
・「遅筋線維」(筋収縮速度は遅く・発揮パワーも小さいが疲労しにくい)である。
もしかすると、白い筋肉(=速筋)、赤い筋肉(=遅筋)と言えば一度は聞いたことがあるかもしれない。

冒頭で述べたACTN3は骨格筋の筋線維を構成する成分の一つであり、特に筋線維タイプの中でも速筋線維に含まれ、遅筋線維には含まれない特徴をもつ。
ACTN3はその役割として速筋線維の収縮力に影響を与えるため、筋力やスピード、そしてパワーなどのスポーツパフォーマンス能力に大きく貢献する遺伝子であると考えられている。

実はこのACTN3には遺伝子変異があり、走スピードが速い人と、走スピードが遅い人がこの遺伝子変異により生じることも報告されている。すなわち、ACTN3遺伝子変異によりスポーツパフォーマンスに個人差が生じるのである。

日本のスポーツ遺伝学研究のグループは4年前に、日本人男性の短距離アスリート(国際大会出場レベル)を対象に100m走ベストタイムとACTN3遺伝子型の関係を明らかにしている(文献1。集団の平均タイム10秒46)。
ACTN3遺伝子の577番アミノ酸残基と呼ばれる世界的に有名な箇所を調べてみると、三通りの遺伝子変異(RR型、RX型およびXX型)が存在する。
これら3つのタイプのACTN3遺伝子型のうち、通常型(RR型とRX型)を有するアスリートの集団ではロンドンオリンピックの参加標準記録をクリアした者がいたのに対し、変異型(XX型)を有するアスリートの集団では標準記録をクリアした者は一人もいなかったのである(図1。〇は個人を示している。縦軸の数値が小さい=速い)。

この結果は、2年後に人種を問わず関係する可能性が他の研究グループによって証明されている。白人と黒人346名のアスリートを対象とした10ヵ国からなる国際研究においても報告されたのである(文献2).

短距離走で興味深いのは、強い特定の国が存在することである。
ジャマイカは総人口が280万人と日本総人口の40分の1以下しか存在しないのにも関わらず、2016年リオデジャネイロオリンピックの100m決勝で2名が出場している。ウサイン・ボルトとヨハン・ブレークである。

このスポーツパフォーマンスの高さの背景にACTN3遺伝子型が関係している可能性が高い。実は、ジャマイカ人のACTN3遺伝子を解析すると一般人も含めて通常型(RRやRX型)の頻度がほぼ100%である。つまり、ほとんどのジャマイカ人はスピード遺伝子を有している。

また、別の研究グループがこの577番目の遺伝子型をオーストラリア人のアスリートを対象とした調査を実施している。オリンピック出場経験があるエリート選手だけを対象とすると、短距離・パワー種目のアスリートで通常型(RR型とRX型)の人口割合が高く、変異型(XX型)は一人もいなかったことが報告されている(文献3、図2A)。

つまり、ACTN3遺伝子の577番目を調べることで、短距離アスリートの能力レベルや適性を事前に予測できる可能性が世界中のアスリートにおける調査から示されたのである。

テシオによれば、長距離にもスピードは重要なので、スピードと関連するACTN3の通常型(RRやRX型)は長距離にも有利なはずである。

では、スピードをもたらすこのACTN3遺伝子は長距離の能力とも関連するのであろうか?

前述したオーストラリア人アスリートの研究では、持久系競技者(オリンピック出場レベル)において通常型(RRやRX型)の人の割合が一般人の割合よりも少なかったという結果が示されている(文献3、図2B)。このことは、持久系種目ではスピードをもたらすはずの通常型(RRやRX型)が不利となっているということを意味する。

テシオの予測は外れたのだろうか?

この研究結果は結果として揺るぎないものであろうが、考慮すべきことはオーストラリア人の長距離アスリートが世界的にみてトップレベルかどうかという点である。オーストラリア人集団からの選抜では、長距離走に通常型(RRやRX型)が不利であったという結果を示しているに過ぎない。

世界的に長距離競技についてトップレベルにある2つの国がある。ケニアとエチオピアである。これらの2国は、マラソンの世界記録1~10位までを独占している。これらの国のデータを見てみることにする。

超優秀なケニア人アスリート(284名)とエチオピア人アスリート(76名)のACTN3遺伝子577番目を調べると、ケニア人では通常型(RRやRX型)の頻度が99%であり、変異型(XX型)はたった1%であったことが報告されている(文献4)。
また、エチオピア人アスリートは通常型(RRやRX型)が89%であった。
これらの値は、日本人の通常型(RRやRX型)の割合が75%であることや、図2で示したオーストラリア人アスリートの割合(約70%)と比較しても高い。

しかしながら、アスリートとアスリートではない一般のケニア人やエチオピア人と比較してもその割合には差が無く、元々ケニア人やエチオピア人で通常型(RRやRX型)が多かった(文献4)。このことは、ACTN3遺伝子の577番目が長距離アスリートを決める遺伝子であるとは言えないことを意味するが、スピードをもたらす通常型(RRやRX型)の頻度が高いケニア人やエチオピア人の集団からさらに能力が高い者が選抜されて、世界的に優秀な長距離アスリートが輩出されているのかもしれない。

ちなみに、一昨年前に日本のグループから報告された日本人エリート長距離ランナーにおいては、通常型(RRやRX型)の頻度(85%)が一般人(74%)よりも高い傾向があり、通常型を有している者の方が変異型を有している者よりも長距離ランナーとして成功しやすい可能性がある(文献5)。

これらの研究結果から考えると、テシオが述べているように“長距離にもスピードが必要である”ことがヒトにおけるACTN3の577番目の結果から言えるのではないだろうか。

では、ヒトと同様にサラブレッドにACTN3遺伝子は存在し、この遺伝子が競走能力を決定している可能性はあるであろうか?

今から4年前、サラブレッドなどウマ科の動物にもACTN3遺伝子が存在していることが報告された(文献6)。このことは、競走能力の優劣にACTN3遺伝子が関与していることを期待させた。
だがしかし、その後の研究の進展はみられず、競走能力との関連については現在まで追加の報告が無い。おそらく、世界の研究者が分析しても関連がみつからなかった可能性がある。著者が第2回で示したマイオスタチンの結果のようには至っていないようである。

残念ながら現時点でサラブレッドとACTN3について述べられるのは以上である。

今回を要約すると、ヒトのアスリート研究を題材にACTN3遺伝子を紹介したが、
ヒトにおいては577番目が
 ・短距離走の能力と関連する
 ・長距離では完全に一致した結果が出ていないものの、マラソン王国であるケニアやエチオピアの人々はスピードをもたらす通常型を元々有している。日本人では、通常型の方がエリートになりやすい傾向があった。

サラブレッドにおいては
 ・競走能力との関連はみられていない

なかなか、ヒトのアスリートと、ウマのサラブレッドを結び付けることは一筋縄ではいかないようである。

サラブレッドにおける遺伝子研究では、ウマの詳細な遺伝情報であるウマゲノムが決定されたのがヒトゲノムの決定よりも遅かったこともあり(ウマ:2009年、ヒト:2001年)、ヒトのアスリート研究ほど多くの関連遺伝子が見つかっている訳では無い。
これからのウマ遺伝子研究のさらなる進展が望まれる。
もしかすると、世界の一部の大牧場では既に解析を秘密裏に行っているのかもしれない、と私は想像してしまう。

ヒトやウマには、「2万もの遺伝子」が存在するためマイオスタチン遺伝子やACTN3遺伝子に着目した研究は、ほんの一部を見ているに過ぎない。

その他にウマの遺伝子と競走能力について検討した報告としては、セロトニン受容体遺伝子が競走馬の扱いやすさや初出走年齢と関連するといった報告がある。

今後の研究の発展によってはマイオスタチン遺伝子のように、ヒトにもウマにも共通した関連遺伝子がみつかる可能性はあるだろう。この2万遺伝子を一気に解析する方法は、「網羅的遺伝子解析」と呼ばれており、現在世界各国で研究が進められている。

次回は、2009年に決定されたウマゲノムと、最近行われ始めたサラブレッドの網羅的遺伝子解析について紹介する。

 

 

参考文献
1. Mikami et al. ACTN3 R577X genotype is associated with sprinting in elite Japanese athletes. Int J Sports Med. 2014; 35(2): 172-177.

2. Papadimitriou et al. ACTN3 R577X and ACE I/D gene variants influence performance in elite sprinters: a multi-cohort study. BMC Genomics. 2016; 17: 285.

3. Yang et al. ACTN3 genotype is associated with human elite athletic performance. Am J Hum Genet. 2003; 73(3): 627-631.

4. Yang et al. The ACTN3 R577X polymorphism in East and West African athletes. Med Sci Sports Exerc. 2007; 39(11): 1985-1988.

5. Yvert T, Miyamoto-Mikami E, Murakami H, Miyachi M, Kawahara T, Fuku N. Lack of replication of associations between multiple genetic polymorphisms and endurance athlete status in Japanese population. Physiol Rep. 2016 Oct;4(20). pii: e13003.

6. Thomas et al. Sequence analysis of the equine ACTN3 gene in Australian horse breeds. Gene. 2014; 538(1): 88-93.

 

第二回
テシオの「魔術」 ―スポーツ遺伝学からのアプローチ―(2)

第一回
テシオの「魔術」 ―スポーツ遺伝学からのアプローチ―(1)

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