テシオの「魔術」 ―スポーツ遺伝学からのアプローチ―(2)

2018/01/31

カテゴリ:馬のはなし / 人のはなし / Pacallaオリジナル

今回は、フェデリコ・テシオが考え・実践してきた交配技術が現代の科学によりどこまで解明されたのかを検証する。

前回示した、テシオによる著書「競走馬の生産」の要点の1つ目を見てみよう。

①「短距離、長距離に関わらず『スピード』を目的とする馬の生産を行うこと」
果たしてスピードを重視した血統の馬は、本当に長距離にも有利な特性を示すのだろうか?

 

サラブレッドの競走能力に関わる遺伝子を語るうえで、マイオスタチン(別称:ミオスタチン)という遺伝子は避けることのできない近年の大発見である。

マイオスタチンとは、myo(骨格筋)とstatin(抑制)というギリシャ語から派生して造られた『骨格筋増殖抑制因子』という意味を有する造語である。

 

生物の体は食料に困った飢餓状態に陥った時でも生きることができるよう必要以上のエネルギーを利用しないようにしている。身体が大きくなるとエネルギー需要が増大するため、常に自らの身体を大きくさせないためのブレーキ機構が備わっているのである。このブレーキ機構の一つとして働くのがマイオスタチンである。

しかし、遺伝子の突然変異によってマイオスタチンがブレーキ機構としてうまく働かない個体も存在することが報告されている。筋肉増殖に対するブレーキが効かなくなった結果、筋肉ムキムキの個体が産まれることになるのだ。
「マイオスタチン」などで画像検索してもらうと、筋肉ムキムキのウシや犬、豚、ネズミ、そしてヒトの写真を観ることができるだろう。

サラブレッドにおけるマイオスタチンの遺伝子変異は2010年頃に発見されている。
それ以降の報告では、マイオスタチンの遺伝子変異がサラブレッドを急速なスピード化へと推し進めたとされている。

ここでは、g.66493737C/Tというマイオスタチン遺伝子に含まれるDNA多型についてのみ述べることとする。ちなみにDNA多型は、個体の個性を示すものであり、見た目の違い(例:青い瞳と茶色い瞳など)を生ずる原因となるものである。

このような多型は、見た目にとどまらず運動能力の違いにまで及ぶことが近年の研究により明らかにされており、テシオの魔術をスポーツ遺伝学的に説明できる一因となることが期待される。

2012年に報告された論文では、マイオスタチン遺伝子の変異はサラブレッド生産の基礎段階(17世紀初頭から中盤)におけるイギリス在来の牝馬にみられていたものの、大変珍しいものであった。歴史的名馬のDNA検査結果では、エクリプス(1764年生まれ)やセントサイモン(1881生まれ)、ハイペリオン(1930生まれ)にはそのような変異が検出されていない(文献1)。それまでサラブレッドの血統として普及していたのは、通常型(T型)の遺伝子タイプであったが、ネアルコの子であるニアークティック(1954生まれ)によって突然変異型(C型)が広まったという。
さらにその後、ノーザンダンサー(1961年生まれ)の繁殖によってこのC型が世界中のサラブレッドに拡散されたとされている。

前述したT型とC型と示すマイオスタチンの遺伝子タイプは厳密に言うと、父母それぞれから受け継いだ組み合わせによって、3種類(CC型、CT型、TT型)に分けられる。

日本のサラブレッドを用いた研究においては、CC型は短距離、CT型は中距離、そしてTT型は長距離に適しているという結果が得られている(文献2)。その研究では、CC型(短距離)とTT型(長距離)では適正距離が400m異なることが示されている。

現在では、変異型であるC型が日本のサラブレッドに浸透しており、C型を有する割合は日本における競走馬の7割にも及ぶ(CC型15%、CT型51%、文献2、2000年データ)。

この50年間で急速にこの遺伝子が普及した理由として、スピード重視の番組構成(距離)がこのタイプの馬の需要を増加させ、繁殖を促進させたと考えられている。

では、テシオが述べるように、スピードをもたらしたマイオスタチンのC型を有していると2400m以上の長距離でも有利に働くのだろうか?

文献2の図では、各遺伝子型に分けて解析した結果が掲載されているが、それをデータ資料として、2000年のJRA所属サラブレッド牡馬のマイオスタチン遺伝子型全体と競走成績の関係性を著者が再解析してみた。

 

 

図は、横軸が距離、縦軸は勝ち馬がC型(CC型とCT型)である確率(厳密に言えば、各距離に分けた勝ち馬数に対するC型の勝数の割合)を示している。

明らかな右下がりのグラフが描かれており、1600mでは7割の確率と、C型の頭数頻度と一致する。つまり、1600mではC型(ミオスタチン変異)が有利でも不利でも無い可能性が高い。

よって、1400mより短い距離ではC型が勝つ確率が高いが、2000mを超える距離ではC型が勝つ確率は低くなる。

特に、3000mの競走では、3割と圧倒的に確率が低くなっている。ただし、これらの結果にはC型を有する競走馬を長距離レースに出さないという調教師・馬主側の意向がバイアス(偏り)として影響している可能性があることには留意しておきたい。短距離におけるTT型も同様である。

以上のようなバイアスの影響は考えられるものの、実情としてマイオスタチン遺伝子の解析からはテシオが述べているような「長距離にもスピードを重視すること」は、単純には採用されないと結論づけられる。

 

では、別の遺伝子はどうなのだろうか?
マイオスタチン遺伝子だけが競走馬の能力の全てを決定している訳ではもちろん無い。また、C型を有していたとしても、1200mの短距離で勝てない馬も存在する。
その他の遺伝子の関与はないのだろうか?

 

次回は、ヒトのアスリートを参考において有名なアクチニン3という遺伝子について紹介したいと思う。

 

追伸: 今回の解析結果に補足をすると、マイオスタチン遺伝子のC型は、育成期での成長が早く(文献3)、さらに現在の番組構成(距離)にピッタリフィットしている。JRAのレースは短距離が多いため、1勝以上する確率が高いのもC型を有するサラブレッドである(CC型57%、CT型48%、TT型44%、文献2)。さらに、1600万円以上を獲得する優秀な馬もC型が多い(CC型14%、CT型11%、TT型9%、文献2).馬産の観点からは無視できない遺伝子の一つだろう。

 

 

 

参考文献

  1. Bower et al. The genetic origin and history of speed in the Thoroughbred racehorse. Nat Commun. 2012; 3:643.
  2. Tozaki et al. A cohort study of racing performance in Japanese Thoroughbred racehorses using genome information on ECA18. Anim Genet. 2012; 43(1): 42-52.
  3. Tozaki et al. Sequence variants at the myostatin gene locus influence the body composition of Thoroughbred horses. J Vet Med Sci. 2011; 73(12): 1617-1624

 

第一回
テシオの「魔術」 ―スポーツ遺伝学からのアプローチ―(1)

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