若馬よ、大志を抱け。

2017/12/12

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

 

一度見てしまったら忘れられない。という馬がいる。

例えばディープインパクトとファインモーション。私は幸運にも、両馬のデビュー戦を競馬場で目撃することが出来た。
得体の知れない強さに、ゾクゾクとした恐怖を覚えた師走の阪神競馬場。今でもこの時期、直線入り口付近に立って馬場を見ると、当時を思い出してしまう。(この感覚がある故、若駒達には随分辛口になってしまっている。ごめんね。)

実際見た彼ら以外、つまり書籍や映像で知った馬だと、己の十指と近所のウマキチ爺さんの十指を用いても足りないくらい、忘れ難き優駿達が存在するが、朝日杯間近という時節を考慮して一頭挙げるなら、スキーキャプテンだ。
94年朝日杯2着馬。おや?フジキセキではないのか?と、思われるかも知れない。無論、フジキセキも素晴らしい駿馬で、今でも大好きな一頭なのだけど、社会のドブ底から這い上がらんとする今、フジキセキよりキャプテンに果てしない魅力を感じてしまう。
後方一気の末脚を武器に躍動した姿は、芦毛という毛色も相まって、実に美しく、格好の良いものだった。この姿に、ワシも一つ這い上がっちゃろ!と、ドブ底でダラダラ過ごす私は勇気付けられるのである。(まずは馬券を這い上がらせたい。)

同期のフジキセキが、あの怪物に続け!とクラシックの舞台を夢見たのに対し、キャプテンは世界の頂を見ていた。
アメリカ、ケンタッキー州のルイビルにあるチャーチルダウンズ競馬場。ここで毎年、5月最初の土曜日に行われるケンタッキーダービーが彼の目指した場所だった。
本家本元イギリスのエプソムダービーと並び、世界のダービー競走の中で誉れ高い位置にいるケンタッキーダービー。エプソムが貴族紳士の社交場なら、チャーチルダウンズは競馬を愛する全ての人の社交場だと思う。
ミントジュレップを片手に、フォスターのMy Old Kentucky Homeをみんなで歌う。金持ちも庶民も一緒になって、一つの競馬を、一つのレースを楽しもうとする姿に、厳粛、高貴、格式張ったという堅苦しさは皆無だ。もしも、英米ダービーのどちらかに行けるとするなら、私はチャーチルダウンズを選ぶ。その時は「サセ!」「ソノママ!」という日本競馬界が誇る優良な競馬用語をアメリカのファンに教えるつもりだ。

 

閑話休題。話をキャプテンに戻そう。
きさらぎ賞を制した芦毛の男は、夢の様な世界へ歩みを進めた。背中の上には若き天才、武豊。彼もまた、アメリカ競馬に恋い焦がれたジョッキーだった。
イガグリ頭の競馬学校時代。他の学友達が娯楽に勤しむ中、豊少年は独りビデオと雑誌を見ていたという。青い時代の少年が、能動的に読んで見るものといえば、ピンク色が相場だが、豊少年達が学び舎としていたのは競馬学校。彼はピンク色になんて目もくれず、アメリカ競馬に夢中だった。興味が湧きだしたら止まらない。如何にも少年らしい青臭い話である。

憧れのジョッキーになり、憧れのアメリカ競馬、それもケンタッキーダービーにジョッキーとして挑める。この時、武豊が感じた高揚感は、例えジョッキーでなくても分かる気がする。分かんねぇよ。という方は、ハッキリと確実に意識を持って夢の中で遊べる。と考えれば、豊青年の気持ちを理解できるはずだ。

結果は14着。(勝ち馬は後に名種牡馬の地位を確立するサンダーガルチ)
アメリカの粘土質なダートに苦しめられ、例の矢の様な末脚は発揮出来なかった。
しかし、日本で育成調教された若馬がケンタッキーダービーに挑んだ。という立派な蹄跡は、競馬史が紡がれ続ける限り色褪せることはない。
後年、武豊はこの時をこう振り返っている。

絵本の世界に入ったみたいだった。

世界に憧れ、青春を燃やした馬乗り青年と白い若馬。どこまでも青臭く、そしてどこまでも爽やかだ。青春はこうじゃなくてはならない。
朝日杯に挑む若馬達よ。未来に大志を抱き、闘志を燃やせ!
来春、府中で再会出来ることを楽しみにしています。

青春とは、狂気と燃ゆる熱の時代である。(フェヌロン)

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