怪物の矜持

2018/03/23

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

片方が欠けると、自らの存在を証明することが出来ない光と陰は、相反する素性を持ちながらも、常にペアの関係にある。
これを栄光と没落という言葉に置き換えて考えてみる。
万人の喝采を浴びる勝者が光とするならば、その裏、誰にも見えない場所で涙を流す者が陰となる。
競馬は滅多なことがない限り、光を浴びる馬は1頭で、その他17頭は影だ。
馬自身に光陰の概念があるかどうかは分からないが、少なくとも彼らを取り巻く人、ホースマン達やファンは、自らが愛する馬には常に光が注いでいて欲しいと願っているだろう。
しかし、競馬に限らず現実てのはなかなか手厳しいもので、そう上手く事は運ばない。
この真実だけでも十分鬱陶しいのに、光を全身に浴びている時、陰は襲い掛かって来やすいという。
鳴くまで待った名将、徳川家康は「得意絶頂の時こそ隙ができる。」と言っていた。

1995年。春がようやく目覚め始める3月、京都競馬場で行われた阪神大賞典で日本、いや世界中の競馬スポットライトを独占する権利を得た馬がいた。

ナリタブライアン。

前年、誰も敵わない強さでクラシック三冠、有馬記念を制覇したシャドーロールの怪物は、古馬初戦を100点満点の走りで駆け抜けた。呆れるくらい強い。冗談ではなく、あの日のブライアンに敵う馬は世界の隅まで探してもいなかっただろう。
そんな駿馬に陰が取り憑いたのは、このレースの後だった。
股関節を負傷。春に花を咲かすことは叶わなかった。
傷を癒して迎えた秋シーズン。久々にファンの待つ競馬場へ現れたナリタブライアンは、全く別馬に変わり果てていた。
復帰戦の天皇賞秋は12着、ジャパンカップ6着、有馬記念は2番人気に下がり4着。
あのナリタブライアンが簡単に負ける。全く信じられない光景だった。

包んだ陰が一瞬だけ晴れた96年の阪神大賞典。後輩のマヤノトップガンを競り負かし、一年振りの白星を掴んだ。しかし、光が差したのはほんの一瞬だけで、続く天皇賞春は、同期の桜に主役を奪われ2着。再び彼を鬱陶しい陰が包み込んだ。
馬の戸惑いや不安を消してやるのがホースマンと呼ばれる人間の使命である。悩むブライアンを、陣営は電撃戦の舞台へ送り出した。
装い新たにスプリントのGIとなった第26回高松宮杯。クラシック三冠馬がスプリントのGIへ。という異例の挑戦について、方々で賛否両論の意見が飛び交った。

この面倒臭い外野の議論を黙らすには、馬場で勝つしかない。阪神大賞典で久々の白星をもたらした武を背に、ナリタブライアンは高松宮杯に挑んだ。

スプリント戦には、控えてジックリ…。などと悠長に構える瞬間は、コンマ1秒も無い。ゲートが開いた瞬間から繰り広げられる、俺が!私が!と燃え盛るテンの争いに、勇気を出して突っ込んで行かなくてはいけない。
何が何でもハナを切るという意気込みを見せたをスリーコースを先頭に、フラワーパーク、逞しい巨漢ヒシアケボノが先団を形成。それに続く中団馬群も忙しなく流れる。予想通りの激流の中、ナリタブライアンは後方に位置した。久々に体感するスプリントの流れに戸惑いはあったと思う。しかし、彼は競馬界の王者に登り詰めた駿馬。それを表に出さず、武と息を合わせ自分の走りに徹した。
あっという間に最後の直線。フラワーが抜け出し、アケボノが迫力満点で迫る。ブライアンはまだ後方だ。
新装開店には鮮やかな花が欠かせない。東海地区初のGIに彩りを添えるように、フラワーパークが美しく輝く。その花園を巨体を揺らして、踏み潰さんとするアケボノの内からボクモイルヨー!と小さなビコーペガサスが叫んだ時、高松宮杯は終わりを告げた。
ナリタブライアンは懸命に伸び脚を繰り出した。世界を夢見たあの頃と同じように。しかし、彼に勝利の女神が振り返ることはなかった。

結果は4着。高松宮杯参戦に非難の声を上げた人々は、ブライアン陣営を袋叩きにした。
それ見たことか!馬が可哀想…と、胸が痛くなるような言葉がナリタブライアンの周りに漂った。もしも、ブライアンが人間の言葉を理解する能力を持っていたら、驚くと共に悲しい気持ちになったことだろう。

私は、どの様な場面においても馬を育てるプロ達を批判する。という身の程知らずなことをやるつもりは全く無い。埒の外側にいる我々は、どこまで行っても観衆で、アマチュアなのだ。このナリタブライアン高松宮杯参戦についても、批判的な気持ちは全く無い。

ああ…この馬は何と立派なんだろう。

最後まで王者のプライドを貫こうとしたナリタブライアン。その姿には、批判の言葉より労いと賞賛の言葉が相応しい。レースから22年経った今、改めて褒めてやろう。

よくやった。お前は最後まで優駿だ。

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