父よ、見ていたか?

2017/11/21

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

 

2004年よりJRAの顔を務めている2代目ターフィーくん。

某天才騎手と対談を行った経歴を持つハローキティ御大がリーダーを務めるサンリオのプロデュースとあって、子供が泣く。と、一部で囁かれていた初代とは違い、老若男女問わず愛されるキャラクターとして、競馬場に来場するファンを楽しませている。
ご当地ターフィーなる者は、この愛くるしいフォルムゆえに実現した企画だろう。(それでも私は初代の方が好き。)

ある日、何の気なしに阪神競馬場の壁を見ると、ターフィーくん一家が描かれていた。ターフィーくん、ガールフレンドのポニータ、そしてパパ、ママターフィーの一家が勢揃いしたそれを見て、はてな?と、捻くれた私は違和感を抱いた。

サラブレッドは生涯、父の顔を知ることはない。ヒヒンと産まれた日、側にいるのは母だけである。父、母に見守られ育つ人間の赤子とは違い、彼らは母と周りのホースマン達に愛され育っていく。
競馬場で大きな仕事を成し遂げて、父と同じく種牡馬入りしても、それは父ではなくライバル。親父の顔を立てて…などという親孝行なことをやれば、自身の居場所を失いかね無い。競馬界の頂点に君臨するサラブレッドの種牡馬という一握りの存在には、大きな栄誉こそあれ、家族的な愛はないのだ。

サラブレッドという概念が誕生して以降、今日まで続くこの真実を踏襲するのであれば、パパターフィーは、描かれるべきではない。と、グチャグチャに捻くれた私は考える。

 

そんなことを邪推していたら、ふとセイウンスカイを思い出した。

父シェリフズスター、母シスターミル。
名門、西山牧場で誕生した彼も、当然父の顔を知らない。しかし、その他の馬と違い、スカイの父、シェリフズスターは、息子の活躍を知ることなく行方不明になった種牡馬だった。
どうせ知らないのだから良いではないか。と言われれば、それまでだが、父が行方不明というのはあまりにも辛い現実だと思う。

その名の如く、澄み切った空のように清々しい逃げ脚が魅力だったセイウンスカイ。
史上最強と名高い1998年世代の一員だった彼は、皐月賞、菊花賞の二冠を制覇。特に菊花賞は、当時の芝3000mの世界レコードを叩き出した圧巻の走りだった。

しかし、武豊に初めてダービーのタイトルを贈ったスペシャルウィーク、
ジャパンカップを勝ち世界へ飛翔したエルコンドルパサー、
Mr.グランプリホース、グラスワンダーらの陰に埋もれがちで、立派に二冠を制覇したにもかかわらず、今でも語られる上記の3頭に比べあまり話題に上らない。

斯く言う、私もスペシャルウィークのファンだが、セイウンスカイの逃げっぷりは大好きだ。彼自身はもちろん、手綱を握っていた横山典弘のガッツポーズも、生まれ変わったら騎手になりたい!と思わせるくらいカッコいいものだった。

セイウンスカイのことをぼんやり思い返しながら先日、馬の気狂いみたいな友人と明け方まで酒を呑んだ。勿論、話題はオールタイム、馬、ウマ、horse。やれ、あの馬は強い、やれ、あのジョッキーの手綱には痺れたなど喧々諤々、競馬を語り酒を呑み交わした。その時、セイウンスカイも議題に上がり、生い立ち、血統、戦歴…と尽きることなく語り合った。
馬キ◯ガイの友人はセイウンスカイについて、こう考察している。

「スカイが何故逃げたか?親父を探していたんだよ。1番目立つハナの位置で、1番強い勝ち方をすれば、親父が戻ってくると思っていたのさ。」

それはロマンチスト過ぎるよ。と、その時は現実的な反論をしたが、よくよく考えてみると、友人のベタ臭い妄想も分からなくはない。
父の顔を知らない少年が、運動会の徒競走で一等になり、快哉を叫び父を想う。しかし、父が現れることはなかった…。
無理矢理、人間界に例えて考えてみると、胸を抉られるような非情の寂しさがセイウンスカイ父子に浮かんできた。

 

シェリフズスターよ。息子が一等賞になった日、お前はどこで見ていた?

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