幻の航海

2017/11/10

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

もしも、たらればを考えるのは、時間を無駄に使う行為だ。

どれだけ克明にそれを想起しても、タイムマシーンが無い今日の文明では、絶対に現実にならない。
しかし、それを想起している時間には、ノンフィクション、つまり現実世界には無い高揚感がある。
小説やドラマ、その他芸術品は、この部分が昇華し世の中に生み出されるのだと思う。

競馬は”もしも”と”たられば”の集合体のような娯楽である。
もしも、あの時、あの馬を買っていれば…。
馬券を一枚でも買ったことがある方なら、一度はこれを想起したことがあるはず。
下手くそな私などは、ほぼ毎日、幻の万馬券を想像しては、絶望の現実に打ち拉がれている。
馬券だけでは無い。馬についても、それを考えさせられる時がある。

もしも、無事ならば…。

馬券という俗世的な代物を飛び越し、競馬、サラブレッドというものに
狂おしいほどの愛しさを見出すファンなら、
酒でも飲みながら好きだった馬の未完のシナリオを考えたことがあるだろう。

今年の春、ペガサスワールドカップ、ドバイワールドカップと2つの世界戦を制覇し、
涎が出るような賞金を稼いだアメリカのアロゲート。
さすがダートの本場に暮らすサラブレッド!と思わせるこの駿馬のニュースを見るたびに、
私は同じ毛色の日本馬、クロフネを思い出していた。

父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニュー。
1998年、アメリカで産まれた彼は、鎖国状態だった日本の競馬界に対し、開国を要求する使者として日本へやって来た。
彼が産まれたアメリカ、競馬の故郷イギリスなどといった海外の国にあるかどうか分からないが、
日本競馬界には珍名馬を愛するという文化がある。
私は、芦毛なのにクロフネと名付けられた彼を初めて見た時、
コイツは分かりやすい珍名馬だ(笑)と、笑ってしまった。
1992年の中山牝馬Sを制したカチタガールばりに愉快だと思った。
しかしこの芦毛は、ただの面白サラブレッドではなかった。
時の幕府に開国を迫ったペリーさんの様に、底知れない恐怖を持ち合わせたマル外のバケモノだった。

お前達はもう世界基準だ。全ての競馬を、全ての国に解放しなさい。

と、訴えながら毎日杯、マイルカップを連勝して、目標通りダービーに挑んだ。
結果は内国産馬のジャングルポケットに及ばずの5着だったが、
同じく挑んだマル外のルゼルと共に、日本競馬界を開国する。という使命は果たせたと讃えてやりたい。

秋はクラシックレースと同じく解放された天皇賞を目指し、神戸新聞杯から始動も3着。
この敗戦が、クロフネの羅針盤を狂わせた。

敗れはしたものの、賞金的には天皇賞に出走可能な位置にいた。
ところがレース直前に、もう一頭の外国産馬アグネスデジタルが出走を表明。
マル外ホースに与えられた2つの枠のうち、一つはメイショウドトウが押さえていたため、
これによりクロフネの盾獲りは夢と消えた。

突然進路を失った蒸気船は、その天皇賞の前日に行われるダートの重賞、武蔵野Sに挑んだ。
春の実績、アメリカ産馬という要素が評価され、初ダートながら一番人気に支持されるも、
2.3倍という数字が示す通り、ファンはまだ半信半疑だった。

かつてNHKでやっていた番組のタイトルをそのまま使用させていただく。

2001年10月27日、午後3時35分。その時歴史は動いた。それも、かつて無いほどの勢いで。

タイムは1:33.3。2着のイーグルカフェに付けた着差は、9馬身差。
芝のマイル戦並のタイムを叩き出したクロフネは、誰も知り得ない夢の海原へ向けて出航した。

迎えた11月24日、第2回ジャパンカップダート。
砂の本場、アメリカからリドパレス、ディグフォーイット、ジェネラスロッシの3頭、
ドイツとフランスから、アエスクラップ、キングオブタラの招待馬に、
ディフェンディングチャンピオンのウイングアローら国内の砂の猛者が、顔を揃えたが、
彼らを含む15頭の馬にスポットライトは無かった。

大衆の興味は、果たしてクロフネが、どの様な”勝ち方”を見せるか?の一点のみだった。

晩秋の夕陽に照らされた府中の砂上に、16頭が飛び出した。
ディグフォーイット、リドパレスのアメリカ勢がレースを引っ張る中、クロフネは中団でジックリ脚を溜めた。
府中にどよめきが起こったのは、3角前。逞しい汽笛を鳴らし、クロフネが栄光へ向けて動き出した。
早くないか?と戸惑う観衆を他所に、武に舵を取られた蒸気船は、4角前で3馬身ほどリードし、先頭で最後の直線に入った。
どよめきが割れんばかりの喝采に変わる。
2馬身、3馬身、4馬身…夢でも見ている様な光景が、その日の府中に繰り広げられた。

勝ちタイムは2:05.9。
前年ウングアローが記録したレコードを、1秒3更新して、クロフネはダートのチャンピオンに君臨した。

私達はあの日、確かに世界をハッキリとフルカラーで見ていた。
ドバイワールドカップ、ブリーダーズカップ…。
どこへ行っても、この馬に敵う者はいない。
これを思うと同時に、クロフネが日本に居てくれたことに対する幸福感が湧き上がった。

時間をアロゲートが騒がれた現在に戻す。
確かに、彼は強いサラブレッドだ。これは疑う余地のない事実である。しかし私は思う。

クロフネには敵わないだろう…と。

ガルフストリームパーク、メイダン、府中。
どこでやっても、アロゲートの10馬身ほど先に、私達の国の馬がいるに違いない。

馬鹿め…寝言は寝て言え。と嘲笑う、世界中の連中に、フランスの小説家、ヴェルヌの言葉を教えてやろう。

人が空想できる全ての出来事は、起こりうる現実である。

 

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