尾花栗毛の煌めき

2017/11/17

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

Appleのジョブズさんは
「何年かに一度、世の中を変える発明品に出会うことがある。」と、
例のワクワクする語りで、iPhoneを世の中に誕生させた。
彼の目論見通り、全く新しい、洗練されたこの通信機器は、世界中の人々の掌に受け入れられた。

 

我々競馬ファンも何年かに一度、奇跡的な優駿に遭遇することがある。

ジョブズさんが新たな製品を生み出し興奮するのと同じく、
我々もその様な駿馬に出会うと、無上の高揚感を感じてしまう。

例えばトキノミノル。
全体、この馬はどこまで強いんだ!という興奮に満ちた疑問は、日本の競馬を”ファンの競馬”に仕立て上げた。

例えばシンボリルドルフ。
競馬に絶対はない。しかしルドルフには絶対がある。
とまで言われた皇帝の強さに、本命党、穴党全てのファンが芯まで酔いしれた。

時代が平成に変わると、オグリキャップ、ナリタブライアンという、
強さ、ドラマ、ロマンというファンの心をガッチリ掴む要素を持った馬に出会うことができた。

今、例に挙げた優駿達以外の馬も紹介したいところだけど、
それをやるとこの記事の完成に、20年は掛かるだろう。
なので、ここではあと一頭だけ触れたい。

 

太陽の光に照らされて、最も美しいのは栗毛の被毛を持った馬だと思う。
サラブレッドは走る芸術品。とよく言われるが、
晴れた日に走る栗毛馬を見ると、その比喩をハッキリと実感できる。
ただでさえ美しい栗毛馬の中に、タテガミと尾っぽが、人間界で言うところの金髪の馬がいる。
いわゆる、尾花栗毛という毛色だ。

私は、たまたま運良くこの毛色の馬と競馬場で出会うと、
小難しい予想を放り出し、有無を言わず単勝を買う。
当然、外れることが多いけど、尾花栗毛の馬を見た。
という興奮だけで、満たされている故に、
チッポケな馬券の当たりハズレなんてどうでもいい。と考えている。

尾花栗毛の優駿。と言えば、いの一番にタイキシャトルを思い出してしまう。

父Devil’s Bag 母Welsh Muffin。
1994年アメリカで産まれ、遠路遥々、日本へやって来たシャトル少年は、
藤澤和雄、岡部幸雄という日本が世界に誇る名ホースマンによって、英才教育を施された。

史上初となるマイルCS、スプリンターズS同一年制覇、極悪馬場を蹴散らした安田記念、
シーキングザパールと共に、ドーヴィルを熱狂させたジャック・ル・マロワ賞など、
彼が私達に見せてくれた光景は、どの部分を切り取って見ても、惚けるような強さを感じてしまう。

 

私はその中でも、98年の第15回マイルCSが忘れられない。

フランスからの帰国初戦。
いきなり、そのカテゴリーのチャンピオンを決する舞台へ挑んだ尾花栗毛の牡馬に、
ファンが下した評価は1.3倍の単勝オッズ。
海外帰りだからなぁ…。と、疑心暗鬼になる者は、極々一部の人しかいなかった。という数字だ。
次いで人気になっていたのがシーキングザパール。
ドーヴィルの愉しげな夏のバカンスの香りが漂う中、ゲートが開いた。

俺が行く!いや、私が先よ!と、マウントアラタとキョウエイマーチが熱い主導権争いを演じる。
そんな争いなんて我、関せず。シャトルは岡部と息を合わせ、3番手という絶好位で自分のレースに徹した。
3コーナーの坂。マウントアラタが苦しみ出し、ズルズルと後退。
それを無慈悲にやり過ごしたシャトルは、全く無理することなくマーチを射程圏内に捕らえた。

もういつでも交わせる。努めて華麗に、しかし死にものぐるいで逃げる97年の桜の女王に、
すっと並びかけるシャトルと岡部。しかし、すぐに手綱を動かさない。
溜めに溜めて、岡部が繊細な右鞭を入れたのは、残り200の地点。
ポンと一鞭だけの合図で、シャトルのエンジンが最高値に噴き上がった。
圧巻の瞬発力を発揮し、一気に番手以下を引き離した。
それはまるで、ちびっ子相撲大会に、来賓で参加した大横綱が本気を出したような走りだった。
(もちろん、シャトルは品のある大横綱だ。酔って荒れる粗暴な力士ではない。)

ただ一頭、これは桁が違う!
関西テレビのマイクロフォン前で実況していた馬場鉄志アナの叫び通り、
その他の頭とは全く桁違いな走りを見せつけ、何事も無かったかのように、
ニホンピロウイナー、ダイタクヘリオスに並ぶ史上3頭目のマイルCS連覇という偉業を成し遂げた。

 

あの日、淀の空は鈍色だった。
しかし、勝って戻ってくるタイキシャトルの馬体は、晴天と勘違いさせるくらい神々しく輝いていた。
あの煌めきを思い出すたびに、私はジョブズ的な高揚感を感じてしまうのである。

 

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