重賞制覇レポート『アサマノイタズラ』前野牧場編(セントライト記念)

2021/10/08

カテゴリ:馬のはなし / 色々なはなし / Pacallaオリジナル

返ってきたのは意外な答えでした。

「僕は少し冷静なんですよね」

菊花賞トライアル・セントライト記念をアサマノイタズラが制覇。創業1976年の前野牧場に待ちに待った初タイトルが届きましたが、前野真一代表は穏やかな口調で心境を語ってくれました。

レース当日は翌日から始まるセプテンバーセールに備えて星野壽市オーナーのご子息が来場。ご子息は前野代表の家族とともにテレビで、前野代表は隣にある応接室で携帯電話での中継で観戦していたそうです。
前野代表の画面は直線に入ったところ。その時、アサマノイタズラはまだ11番手あたりにいました。しかしその時、隣の自宅から歓声が聞こえてきました。

「2着か3着くらいあるのかな」
携帯電話での中継はタイムラグがあり、そう思った瞬間に、ぐんぐん伸びてゴール直前でソーヴァリアントを強襲。これまでより後方に待機してギリギリまで脚をため、ついに重賞初制覇。前野代表もワンテンポ遅れて歓喜の輪に加わりました。

「前野牧場の馬でうまい酒を飲みたい」
一番古くから付き合いのある星野壽市オーナーが来場するたびに口にしていた言葉です。その熱い思いがようやく現実のものとなりました。来場していたご子息とは抱き合って喜んだほど。それなのに前野代表が平静を保っていたのはこんな決意を秘めていたからでした。

「自分の代になってから45歳までに重賞勝ち馬をつくりたいなと思っていて、たぶんできるだろうなという自信はなんとなくあったんですよ。ただ、できた後が問題だなとずっと思っていたんです。一発屋で終わりたくないんで。家族経営でもコンスタントに重賞を勝っている牧場ってあると思うんですよ。そこは多分たまたまではなくて、僕もそういう牧場になりたいなと思っているんです。重賞を1個とれたんですけど、喜びよりも焦りの方が大きくて、さあここから5年以内にもう1頭、そういう馬をつくらないとなっていうので、もちろん嬉しいんですけど、焦りっていうんですかね。ここから5年だぞっていう」

現在、41歳の前野代表。自身が掲げた時期より早めに目標を達成しましたが、余韻に浸ることもなく、新たなスタートに立ったという思いが強いといいます。

アサマノイタズラの祖母、オペラレディは父の博幸さんがジェイエスの繁殖セールで購入。その時にお腹に入っていたのがアサマノイタズラの母ハイタッチクイーンでした。ハイタッチクイーンは「小さくて背ったれで、おでこがへこんでいるような馬」(前野代表)だったそうです。購入した星野オーナーは「こんなヤギみたいな馬を俺に売りつけやがって」と冗談を言っていたそうですが、3勝を挙げて6000万円を超える賞金を獲得。「会長、ヤギがずいぶん稼ぎましたね」と前野代表もジョークで返す活躍ぶりでした。

▲キズナとの子を宿しているハイタッチクイーン

引退後は繁殖牝馬となり、2年続けてオルフェーヴル、3年目にディープインパクトと期待の種牡馬を配合。しかし、コンパクトに生まれた産駒は大成しませんでした。そこで、前野代表は小柄な母に現役時代は510キロを超えていたヴィクトワールピサをかけ合わせました。そうして生まれたのがアサマノイタズラでした。

前野代表の狙い通り、セントライト記念時が498キロという恵まれた体格。1歳の6月には皮膚が薄くて品のある垢抜けた馬体となりました。星野オーナー所有とすでに決まってはいましたが、「セリに出してみたいなあ」と前野代表が想像してしまうほどの出来だったといいます。

今年、生まれたのは父ヤングマンパワーの牡。両親ともに星野オーナーが所有していた“星野血統”です。「めちゃくちゃいいんですよ。ヤングマンパワーはそんなにたくさん種付けしていないけど、これが代表産駒になるのかなと思っています」と前野代表は期待を隠しません。そして、現在お腹の中にいるのが父キズナの産駒。そう、キングヘイロー肌にキズナは、天皇賞・春2着で仏G2のフォワ賞など重賞3勝のディープボンドと同じ。期待度は言わずもがなです。

▲ハイタッチクイーンと父ヤングマンパワーの牡駒

▲アサマノイタズラの半弟であるハイタッチクイーンの2021

前野牧場の出身馬にはアサマノイタズラと同世代にファンタジーS2着のオパールムーンがいます。こちらもヴィクトワールピサ産駒です。

「うちは背の低い繁殖が多いんです。セリで体高の低い馬ってあまり良く思われないので、体高のある種牡馬を意識してつけるんです。その中で自分が思うコスパの高い種牡馬が何頭かいて、ヴィクトワールピサがそのうちの1頭なんです」

東日本大震災の直後にドバイワールドCを勝ち、日本に明るいニュースを届けてくれたヴィクトワールピサは今年、新天地のトルコへと旅立ちましたが、今の前野牧場の支えとなっています。

 

メイケイエールに3/4馬身差届かず、牧場初のタイトルを逃した昨年のファンタジーS。その悔しさが日常の仕事ぶりに大きな影響を与えているそうです。

「勝ちきれなかったんですよね。コンマ何秒かの差なんですけど、それを先着できるかどうかっていうのは、普段の努力の差なんだろうな。努力をした者がコンマ何秒差でゴールを切れる。だから、僕にはまだまだ重賞を勝てるだけの苦労をしてないんだろうなと思うように戒めているんです。普段の仕事の時に寝ワラが1個落ちていて、まあいいやって思うんじゃなくて、それを拾うかどうかっていうので重賞を勝てるかどうかになるんだって思いながら仕事しています」

当時の思いを振り返りながら、表情を引き締めた前野代表。念願のタイトルを手中に収めても決して冷静さを忘れません。

 

オパールムーンが6着に入った昨年の阪神ジュベナイルFが牧場初のG1出走でした。現地に足を運んだ前野代表はパドックにオパールムーンが姿を現すと、感極まりそうになったといいます。そして、場内で予想を楽しむファンからオパールムーンの名前が聞こえてくると、今まで感じたことのないような気持ちになったそうです。

「“オパールムーンがどうのこうの“って言っているのを聞いて誇らしいというか、自分の子どもがスーパースターになったような気持ちになりましたね」

重賞で好走し、大舞台への切符を自らつかんだ生産馬。レースの1週前からインターネットで書き込みを見たり、なかなか寝付けなかったりと、普段は冷静に努めている前野代表もそわそわする気持ちを抑えられなかったようです。

 

星野オーナーとの思いを形にしてくれたアサマノイタズラは菊花賞に挑戦します。

「馬は安定して強いですけど、(セントライト記念まで)レース展開に恵まれなかった。力を発揮できるような状態になればそれなりに競馬してくれると思っていました。3000メートルでももちそうな感じがしますけど、メンバーは強力ですね」

気負うことなく、冷静に分析した前野代表。しかし、大舞台に立つ“わが子”を思って落ち着かない日々がもうすぐ始まることは間違いなさそうです。

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