過去に日本でも流行⁉ 知っているようで知らない『ポロ』

2020/08/23

カテゴリ:色々なはなし / Pacallaオリジナル

こんにちは!Pacalla編集部です。
皆さんは普段、ポロシャツを着ることはありますか? 日本でも定番ファッションとなっているポロシャツですが、ポロシャツの『ポロ』とは馬に乗って行う団体球技『ポロ』をさします。ポロのユニフォームとして取り入れられたことから『ポロシャツ』という名前が生まれました。でも、ポロってなかなか日本では馴染みがないですよね。今回はそんなポロについて調査しました!

 

ポロのはじまりはヨーロッパではなく中央アジア?!

ポロの一般的なイメージといえば、イギリスのイメージではないでしょうか。少し詳しい人だとアルゼンチンをイメージする方もいるかもしれません。 ですが、実はポロのはじまりは中央アジアだといわれているんです。そしてそれは、想像よりもかなり荒っぽいものでした…!

ポロの起源はヤギを奪い合う『ブズカシ』

▲ブズカシのイメージ

 

ポロの起源といわれるのは『ブズカシ』という中央アジアの伝統行事。それは紀元前3000年前後に始まりました。日本が縄文時代だった頃といえば、少しイメージしやすいでしょうか。

ブズカシとはペルシア語で「ヤギを引きずる」という、なかなかインパクトの強い意味を持っています。ポロはスポーツですが、ブズカシはもっと儀式的です。10名以上の騎手が集まり、馬にまたがって生きたヤギを戦利品として奪い合うという実戦的なものでした。攻撃についてもあらゆる手段が許されたため、人間にとっても馬にとっても、もちろんヤギにとっても壮絶なものだったことは想像に難くありません…。

 

マメ知識① 現在のブズカシ
現在は生きたヤギを使用することは禁止され、攻撃についてもいくつかの公式のルールが定められている。アフガニスタンでは国技とされており、かつては紙幣にもブズカシの様子が描かれたほどだ。

 

近代馬術競技としてのポロが誕生したのはインド

そして、このブズカシがスポーツとして磨き上げられて誕生したのが、今日私たちが知っている『ポロ』です。ポロの体裁をもった最初の試合は、紀元前600年頃に行われたそう。日本が縄文時代から弥生時代へと移り変わっていった頃の話です。その試合は、ペルシア(現在のイラン)の写本に記録されています。

その後、ポロはチベットの高地からインドに伝わり、19世紀に近代の馬術競技としてスタートしました。

あれ?ポロといえばイギリス!というイメージなのに、インドで近代ポロが始まってしまいました。それにしても、ここまでアジアの話ばかりですね。これは意外な展開です…!

でも、勘の良い方は『インド』と『イギリス』と聞いてピンときたかもしれません。そうです、ヨーロッパにポロが伝わったきっかけは、インドがイギリスの植民地だったことにあります。インドは1858年から1947年までイギリス領でした。その間にインドに入植したイギリス兵が、本国にポロを持ち帰ったことで、欧米諸国に広まっていったんです。

現在、ポロは世界17ヶ国で行われています。2015年時点で、アルゼンチンでは選手数が6,000人、クラブ数が270あるとされていました。次いでアメリカの選手数が2,800人、クラブ数が250。イギリスの選手数が2,760人、クラブ数が70となっています。ランキングの上位10ヶ国は、アルゼンチン・ブラジル・チリ・米国・イギリス・メキシコ・オーストラリア・イタリア・スペイン・フランスとなっており、なかでもアルゼンチンの強さは圧倒的です。

 

マメ知識② ポロ、名前の由来
馬術競技としてのポロが誕生したペルシアの地では、この競技を『チャウガン(chougan)』と呼んで親しんでいた。そして後に、『ボール』を意味するチベット語の『プル(pulu)』から『ポロ』と名付けられた。

 

サッカーの9倍の広さが必要! 近代ポロのルール

主なポロの歴史を知ったところで、現在、欧米諸国等で行われているポロのルールについて学んでいきましょう!

馬好きなら知っておきたい基本ルール

ポロのコート(イメージ)ポロは270m×150mほどの非常に広い競技場(コート)を使用します。これまたサッカーコートの約9倍の広さだというから驚きです。また通常は4人で構成されたチームを組みます。背番号1番の選手が前衛、2番と3番の選手が中央でプレイし、4番の選手が後衛です。
選手は馬に乗り、マレットと呼ばれるスティックを右手に持ってボールを打ち、このボールを相手チームのゴールに運べば得点となります。

試合時間には7分または7分半の『チャッカー(chukkar)』と呼ばれる区切りがあり、1試合は4回~6回のチャッカーで構成されます(通常は6回)。1頭の馬を2つのチャッカーに続けて出すことは禁止されており、1人の選手は試合中4頭まで馬を替えることができます。今、「替えることができる」といいましたが、これは馬を酷使しないようにするために決められたルールです。むしろ4頭の馬を所有していないと、競技に参加することができないと考えた方がよいでしょう…!

 

マメ知識③チャッカー
「chukkar」とはヒンディー語で円環や回転を表す言葉で、それがポロに取り入れられたといわれている。バスケットボールでいう第1クオーター、第2クオーターと考えるとわかりやすい。

マメ知識④1試合に使用する馬の数
試合中、選手は次々に馬を乗り替える必要があるため、一般的な試合でも1試合に20~30頭の馬が使用される。世界最高峰のゲームになると1試合に100頭以上の馬が使用されることもザラ。

 

もし観戦するなら押さえておきたいルール

さて、ここからは少し踏み込んだルールを説明していきます。もし海外でポロを観戦するという、とんでもなく羨ましい機会に恵まれた方がいたら、ぜひ覚えておいて欲しいのがこちらのルール。

 

進行優先権とライド・オフ

ポロは時速50kmものスピードが出ることもあり、衝突すれば大変危険です。それはバイクが衝突するようなもの! そういった危険を回避する工夫として定められているのが『進行優先権』です。ボールの進行方向に走っている選手に進行優先権があり、この権利を持っている選手またはボールの進路(ボールライン)を横切った選手には、ペナルティが与えられます。ただし、サイドから進行優先権を持った選手にぶつかってボールの進路から押し出す『ライド・オフ』については認められています。

 

ハンディキャップ

競馬と同様にポロにも『ハンディキャップ制度』があります。ただし、ポロの場合は重量ではなく点数制です。世界の一流選手には10点(10ゴール)、初心者のアマチュア選手には―2点(-2ゴール)のハンディキャップが与えられるといった具合です。

ポロの公式トーナメントは各チームのレベルが同等でなければなりません。これに則るために、ハンディキャップ制度が活用されます。この制度があることによって、プロ・アマチュア混合など、さまざまな能力を持つ選手を起用したチーム編成が可能になります。そんなわけで、ポロの公式試合はいつ見ても接戦を楽しめる…はず!

ちなみに選手たちは毎年、筆記試験と実技審査を受け、それぞれのレベルに応じたハンディキャップが認定されます。試合を行う際は、各チームの選手4人のハンディキャップを合計し、相手チームより少ない点数(ゴール数)になったチームは、スコアボードに予め点数を貰った上でゲームを開始します。

例)Aチーム(3点+3点+2点+1点=9点)とBチーム(3点+1点+1点+1点=6点)の場合、Bチームは3点を貰った上でゲームを開始する

 

マメ知識⑤ハンディキャップ10の選手たち
ハンディキャップ10点(10ゴール)を認められることは非常に難しく、認定された選手は世界でも数十人しかいない。さらにその数十人のほとんどがアルゼンチン選手だといわれている。

 

ポロに使われる道具

▲マレットとヘルメットを持つ選手

 

ポロで、選手が使用する道具は、主にボール・マレット(スティック)・ヘルメット・ポロブーツ・ニーガードです。ボールはポロボールと呼ばれ、現在は耐衝撃性のあるプラスチックでできています。公式試合中は白いポロパンツとポロ用グローブを着用します。激しいスポーツのため、その他にゴーグル・肘パッド・歯肉シールドも推奨されているようです。
また拍車や鞭などの道具の使用は禁止となっています!

 

大きくてもポニーなの?『ポロ・ポニー』とは

 

▲ポロ・ポニー。ポニーという割に大きく見える?

 

以前は体高制限があったポロ・ポニー

これも日本ではあまり聞き馴染みがないかもしれませんが、一般的にポロに使用される馬は『ポロ・ポニー』と呼ばれます。ポロ・ポニーは馬の品種ではなく、ポロに用いられる馬(ポニー)のタイプ全般を指します。ですが、上の写真を見ると、ポニーと呼ぶには少し大きいように見えませんか?

実はかつて、イギリス式のルールでは1876年にポロ・ポニーの体高を142cm、1895年には144cmまでと定めていて、ポロで使われる馬たちはポニーと呼んでも違和感のない大きさでした。現代のポニーの定義は体高147cm以下の馬なので、これにも当てはまっています。

しかし、1916年にはアメリカ、1919年にはイギリスで体高制限が撤廃され、サラブレッドとの交配が進んだためにポロ・ポニーは大型化! 現在は体高155cm程度の馬が使われることが多くなっているようです。馬格は中程度ですが、筋肉質な肩と幅広の胸、頑強な後肢と力強さを感じさせる体つき。私たちに馴染みのある、小さくて丸っとしたポニーのイメージとはちょっと遠いかもしれませんが、そんな歴史的な理由からポロで活躍する馬たちは、大きくても『ポニー』と呼ばれ続けているのです。

 

マメ知識⑥ポロ・ポニーとして用いられている馬
クリオージョ/ウェラー/ダートムア/ウェルシュ/ニュー・フォレスト/コマネラといった品種が多く使われる。日本ではマイナーな品種ばかりのため、いずれPacalla馬図鑑(YouTubeチャンネル参照)で紹介したい。

マメ知識⑦トップレベルのポロ・ポニーには牝馬が多い?
トップレベルで活躍するポロ・ポニーには実は牝馬が多い。しかし、その血統を残すためには競技から早く引退させ繁殖牝馬にしなければならなかった。競馬に馴染みのある日本人にはなんだか不思議に思えるかもしれないが、現在はそのジレンマを解消するため胚移植が導入され、優秀な牝馬は競技馬を継続し、別の牝馬が代理母となる。

マメ知識⑧ポロ・ポニーのトレーニング
トレーニングには通常3歳からスタートし、6ヶ月~2年ほど続く。競技馬としてのピークは6~7歳だが、18程度まで現役を続けることが可能。

 

試合におけるポロ・ポニーの装備

▲タテガミやお尻に注目!

 

また、ポロ・ポニーの首やお尻(上の写真参照)を見て疑問に思うことはないでしょうか? なんだが妙にスッキリしているような印象を受けませんか?ポロ・ポニーはタテガミがそぎ落とされており、尾も編み上げてさらに短く縛られています。実はこれ、おしゃれでも人間の意地悪でもありません。競技中にタテガミや尾が道具に巻き込まれないようにするための配慮なんです。

また試合の際にポロ・ポニーが装着する馬具には以下のようなものがあります。

▲試合中のポロ・ポニーの装備

 

① 鞍:ポロサドルと呼ばれる障害鞍に似た形状の鞍。フラットシートでニーパッドがないものが多い。
② 鐙 :安全性を考慮し鐙革の幅が広く厚い。立ち上がる際に安定するよう鐙の金属は重いものを採用。
③ 肢巻き:チームカラーの物が使われる。
④ ハミ:矯正銜(Gag bit)またはぺラム銜(Pelham)が使われる。上の写真では矯正銜(Gag bit)を使用。
⑤ 手綱:指示の精度を高めるため二重の手綱を使用。競技中は基本的に片手手綱となる。
⑥ 補助具:マルタンガールが使われる。

 

イギリス玉取?日本とポロの関係

 

基本ルールの説明で述べた通り、広大な敷地と複数頭の馬の所有が必要なポロは、日本の事情には合わず、現在はほぼ行われていません…。しかし、日本に伝来しなかったわけではなく、8~9世紀頃には中国・朝鮮半島を経由して、日本にも『打毬(だきゅう)』という形で伝わっていました!

宮内庁の見解※1によると、中央アジアで発した競技がヨーロッパに伝えられ『ポロ』になり、中国に伝えられたものが『打毬』となったと考えられています。打毬は高貴な人々の娯楽として、奈良時代の『万葉集』や平安時代の『経国集』『うつほ物語』※2のなかにも登場します。鎌倉時代以降は一度衰退しましたが、江戸時代には武芸として復活し、再び盛んに行われるようになりました。

※1:打毬は皇室に伝わる文化の1つとされている
※2:登場する打毬は徒歩で行われたものという説もある

 

▲現在も青森県(八戸)で年に1度行われている加賀美流騎馬打毬

 

また、明治時代になると日本にもヨーロッパ式のポロが入ってきました。3代目・歌川広重によって『イギリス玉取』と題した、打毬の様子が描かれた浮世絵も存在しています。第二次世界大戦後は、1960年に慶応大学馬術部がハワイで試合をした記録が残っているようですが、その後、残念ながら国内で普及するには至りませんでした。

 

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いかがでしたか?
このようにポロの公式試合を現代の日本で実施することは、残念ながら相当にハードルが高いといえます。しかし、昨今では屋内の小さなコートで、選手数やチャッカ―の回数を減らして行う『アリーナポロ』や、砂浜で行う『ビーチポロ』など、実施しやすい形のポロがさまざまな国で行われるようになってきました。このような新しい形のポロと、かつて日本で実際に行われていた打毬の知見を取り入れることで、もしかすると日本独自のポロをプレイできる可能性がまだ残っているかもしれませんね。今後の日本の馬文化の発展に期待!です。

 

<参考文献・ウェブサイト>
・伝統の馬100頭 (ミリアム・バラン著/吉川晶造訳)
・馬と人の歴史全書(キャロライン・デイヴィズ編著/別宮貞徳訳)
・「知」のビジュアル百科・馬の百科(ジュリエット・クラットン=ブロック著/千葉幹夫 日本語監修)
・図説 馬と人の文化史 Horse power.(J. クラットン‐ブロック著)
・馬たちの33章-時代を彩った馬の文化誌(早坂 昇治著)

・世界で一番美しい馬の図鑑(タムシン ピッケラル著/川岸史訳)
Japan Polo Association Facebookページ 2020年8月17日閲覧
宮内庁公式サイト 2020年8月21日閲覧
POLO+10 2020年8月21日閲覧
LEARN POLO 2020年8月21日閲覧
青森県観光情報サイト-アブティネット– 2020年8月21日閲覧 (写真提供)

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