永遠不滅の英雄譚
2019/08/02
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
昨日と同じ日はない。
太陽が東より昇り、西へ暮れていく天体の流れのみが同じくらいで、雲の形、その下で起こる様々な出来事は、日替わりのシナリオで一編の物語として終結する。
7月30日。
この日もやはり太陽は東から昇り、朝から酷暑をもたらす強い陽射しで照らし付けた。今日も暑くなる…。ふと、このボヤキが出た時、今日という日にウンザリした。
けど、あと3日耐えたら競馬だ。と思うと、やる気が出た。
のんべんだらりと浮かび、形を変えない怠惰な夏雲と違い、私という奴はチョイと楽しみをチラつかせるだけで持ち直すのだから、全く単純だ。
太陽がもたらす自然の熱とダウナーな浮世の熱にギンギンと照らされた社会の中で、必死になって働いた。社会の歯車として機能することは、甚だ難解で、七面倒ものである。
辛うじて乗り切り、西へ暮れ行く太陽を掠れる眼で見ながら、家に帰って六法全書か?競馬四季報か?と、川っぷちで思案を巡らしながら、スマホを見た。
ディープインパクト死す。
昨日まではアレやコレやと箸にも棒にもかからないような出来事ばかりだった。アホとちゃうか、大変そうやなぁ。と、6万光年ほど離れた位置からそれを見ていた昨日までの日から一転、その報せは私に驚きと動揺を乱暴にぶつけてきた。
何度も何度もそれを見た。往々にしてこの手の報せは、錯綜の坩堝にある。故に一方では死亡、他方では重体と情報にバラツキがあるのが相場だ。
嘘やろ…と焦り震える手でスマホを握り、関連ページ、JRAのホームページ、社台スタリオンステーションのホームページ、全てを見た。
生きていて欲しい。命があって欲しい。
そう願ったけど、どこも同じことしか書いていない。
7月30日。ディープインパクトは亡くなった。
この短いセンテンスが巨大な文字で一文字づつ、頭の中に記されていく。どうにかしてそれを食い止めようとしたが、現実のペンはそれを許さなかった。全てを書き終えた後、涙が溢れた。地面を見ながら項垂れて、嗚咽混じりに泣いた。いつ以来だろうか…と考えて見たけど記憶にない。赤子時代を除けば、たぶん初めての経験だと思う。
武豊という競馬を知らない人でも知っているジョッキーが乗り、13のレースを駆け抜けたディープの死は、一般のニュースでも報じられていた。亡くなったという事実と共に映像で流されたディープの足跡。ダービー、有馬記念…どのレースも一コマ単位で記憶にある。中には、いかにこの優駿が凄かったかということを、若駒Sの映像を引き出して紹介している番組もあった。
「この位置からディープインパクトは先頭に立ちます。」
4角後方2番手。先頭のケイアイヘネシー、テイエムヒットべまで10馬身。この位置から差すんか!…ナレーションの声を聴いて、あの日見た時と同じセリフが出た。強い。何度見ても、どこから見ても強い。ワクワクした。
この後、弥生賞、皐月賞、ダービー、神戸新聞杯、菊花賞と無傷で進んで行くことを知っている事に気が付いた時、先のワクワク感は泡沫のように消え去りディープがいなくなった7月30日、現実に戻った。
しかし。夕刻、苛まれた得体の知れない寂しさはなかった。文明の進歩により、いつでもどこでもディープの姿を画面越しに見られるから、辛くなった時、寂しくなった時、また若駒Sや天皇賞春を見ればいい。ディープはいつまでもディープで、いつまでもワクワクさせてくれるサラブレッド。別れは一瞬、想い出は永遠なのである。
彼が去った今、競馬しか拠り所がない私に出来ることは、これからの競馬を楽しむことだ。
明日の競馬場。そこにはディープの血を受け継いだダイヤモンドのようなサラブレッドが深い輝きを放っている。
太陽神の後光のように煌めく、その駿馬を見た馬好きな貴婦人は魔法のランプでアラジンを呼び出して「あのダイヤモンドを私の物に!」と願うだろう。
貴婦人が暮らす華やかな世界から180度反対の世界にいる私も、ダイヤモンドはもちろん欲しい。しかしそれを押し退けて
「ディープが繋いでくれた競馬との絆が一生続きますように。」
と願う。目に見えない物の方が、物体として存在するモノより価値があることが多いので、先の願いが叶うなら喜んでダイヤモンドは諦めよう。
死という事実は、一つの終結と考えることができる。しかし私は、競馬の世界にその仮説は当てはまらないと思う。高貴な血は途切れることなく、明日へ受け継がれていくからだ。
すなわち、この英雄譚は一旦ピリオドが打たれただけに過ぎず、終結なんかじゃない。子孫の繁栄、そしてファンがディープインパクトを語り継ぐ限り、その物語に終結が訪れることはないだろう。
空の上へ昇るゲートで躓かないよう気をつけて下さいね。また思い出すよ。
ありがとう。
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