壁を壊した男達

2018/02/16

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

 

日本の競馬が羨ましい。

海の向こうへ耳を傾けると、世界各国からこんな声が聞こえてくる。
王族、貴族紳士淑女の嗜みとして文化が形成される欧米諸国と違い、我々の国の競馬は、馬券が根幹として据えられている。馬券が根幹、つまり紳士淑女の嗜みではなく、この国の競馬はファンの娯楽なのだ。
独自の競馬文化を形成し、売り上げ金、競馬レベルを現在進行形で成長させている場所は、世界広しと言えど日本しかない。
競馬先進国として、パート1国にも名を連ねている立派な日本競馬だが、理解し難いところもある。

二重構造競馬。

日本には国が主であるJRAと地方自治体が主であるNARの2つの競馬会がある。
例えばイギリスだと、今日ニューマーケットで走り、明日エプソムで走る馬は、全てイギリス競馬の馬と言われる。ジョッキーも然り。
ところが日本は、今日園田で走って来週府中で走ることが出来ない。今日園田で走った馬は地方の馬、週末府中で走る馬は中央の馬。門別の騎手は地方競馬の騎手、栗東の騎手は中央の騎手と、日本競馬は分け隔てるのだ。

同じサラブレッドで、同じプロのジョッキーが乗っている、同じ競馬。ならば、能力さえあれば差など存在しない。JRAとNARなんてニンゲンが勝手に拵えたモノ…。

東北から勇者が立ち上がったのは、1999年1月31日。第16回フェブラリーSに、地方岩手競馬からメイセイオペラが挑んだ。
出走馬は16頭。1番人気こそワシントンカラーに譲ったが、堂々2番人気に支持された。ファンは、この勇者の実力を知っていた。そこに地方から何をしに来た?などと、彼を鼻で笑うようなアホはいなかった。

人気だってニンゲンの勝手な思惑。そんなもの関係なく勝てばいい。

明正と刺繍された赤いメンコを脱ぎ捨て、貸し服を纏った岩手の名手、菅原勲と広大な府中の砂漠にメイセイオペラは飛び出した。

弾丸となってハナを切ったのは、97年桜花賞馬キョウエイマーチ。
メイセイオペラは先行グループのすぐ後ろ。さすが、菅原勲。前過ぎず、後ろ過ぎずの絶好位に付けた。人気のワシントンカラーは、岩手の勇者をピッタリとマーク。ホーム中央のプライドにかけても、奴を絶対に勝たせない。と、静かに闘志を燃やした。
マーチ先頭で最後の直線へ。菅原は外へ出した。手綱はまだガッチリと抑えたまま。

まだだ。まだ、ここじゃない。

栄光を目前にしても焦らず、彼らは自分を保っていた。
反対の内へ進路を取ったワシントンカラーが仕掛けた時、菅原のステッキが唸った。
地方ジョッキー特有の豪快な追いで、鞍下の相棒へサインを送る。それを機敏に受け取ったメイセイオペラの脚力は、一完歩ごとに力強さを増していく。府中の坂が平坦に見えるくらいのパワーで、一気に先頭へ躍り出た。

坂を登る。追いかけてくる者は誰もいなかった。
勝者のみに降り注ぐ栄光の輝きが、栗色の勇者と派手なガッツポーズを決めた名手を照らす。その瞬間、二重構造競馬というクダラナイ壁は完全に崩壊していた。

地方競馬所属馬によるJRAのGI制覇。これはハイセイコーやオグリキャップでも成し遂げられなかった史上初の快挙である。
私はその記録よりも、メイセイオペラが勝ったという事実が嬉しくてたまらなかった。
見たか!中央も地方も同じ競馬や!と、お偉いさん達の耳元で叫びたくなった。
勇者が勝った時、住まいの岩手では皆が喜び、空の上で見物していた小岩井の猛者達も嘶き騒いでいたことだろう。
いつの日か、我が地元園田、姫路競馬からもメイセイオペラのような優駿が現れて欲しいものだ。

 

数年前、海外の馬好きな友人とダート競馬の話で盛り上がったことがあった。
「クロフネとカジノドライヴの新馬戦には驚いたよ。」
と友人が言えば、私は
「君の国のセクレタリアトだって強いじゃないか。あと、サンデーサイレンスをありがとう!」
と言いながら、互いの競馬を自慢しあった。
相当な日本好きだったらしく、メイセイオペラのことも知っていた。

「田舎の馬がGIを勝つなんて凄いね。」

そう言う友人に胸を張り言ってやった。

「田舎の馬?それは違うね。メイセイオペラは”日本競馬の名馬”だよ。」

 

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