ナポレオンの肖像画でよく見るあの白い馬…!マレンゴって知ってる?
2022/03/02
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
こんにちは!Pacalla 編集部です。皆さんはジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「サン=ベルナール・峠を越えるボナパルト」という絵をご存じですか? タイトルを聞いてなんのこっちゃ…という人も、ナポレオンが白い馬にまたがっている絵だよ、と言われれば、ああ、あれね。となるのではないでしょうか。今日はその白い馬、ナポレオンの愛馬だった、名馬『マレンゴ』について調べてみました。
▲ジャック=ルイ・ダヴィッド 「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト」 (1801)
ナポレオン・ボナパルト
フランスの軍人・革命家。戦争に強く生涯38戦35勝と驚異の戦績を誇る。近代的軍隊・戦争の礎を作り、フランスの全盛期を築き上げた英雄とされてきた。「余の辞書に不可能という文字はない」という言葉はあまりにも有名。なお、競馬ファンにおなじみのパリにある凱旋門もナポレオンが建てたもの。ナポレオンはフランス競馬の立役者でもあり、皇帝襲名後には大規模なグランプリレースの開催にも尽力している。
ナポレオンは芦毛がお好き?
後にマレンゴと名付けられるこの白い馬は、130~150頭近くいたナポレオンの所有馬のうちの1頭で、体高142~5cmとポニー程度の大きさのアラブ種だったといわれています。毛色については資料によって、白と書かれていたり、灰色と書かれていたりバラバラなので、おそらく芦毛だったのでしょう。
芦毛のような白っぽい色の馬は戦地では目立ってしまい、軍馬としてはあまりよろしくなく、周囲の反対もあったようですが、ナポレオンはそれでも白い馬を好みました。これには、白い馬に乗ることで敵に「ナポレオンここにあり!」と意識させ、また自軍の士気を高める効果があったのではないかといわれています。
ナポレオンが小柄の馬を好んだ理由として、以前はナポレオン自身が低身長だったためではないかといわれてきました。しかし、昨今の歴史研究ではナポレオンの身長は当時のフランス人男性の平均より高かったという説もあるようです。
ナポレオンは馬に乗るのが得意ではなかった?!
マレンゴは戦地でも、恐れを知らず非常に落ち着いた馬で、人間にもとても従順でした。冒頭の肖像画の印象が強いため、ナポレオンはさぞかし乗馬技術に長けていたのだろう想像してしまいますが、実はナポレオン…そこまで乗馬が得意ではなかったらしいのです。作家のジル・ハミルトン氏によって書かれた『Marengo: The Myth of Napoleon’s Horse』という書籍によれば、ナポレオンは子どもの頃に馬に乗る機会があまり多くなかったといいます。正しい馬術を学んだことはなく、軍事学校で1年ほど訓練を受けただけだったとのこと。
そのため、ナポレオンにはマレンゴのようなスーパーホースが必要でした。ですから、マレンゴをはじめとするナポレオンの所有馬は、熟練の調教師によって、頭の近くで銃声を鳴らされたり、いきなりトランペット吹かれたり、目の前に銃剣が突き出されても驚かないようにしっかりと調教が行われていたそうです。
マレンゴの伝説的エピソードは事実ではなかった?!
▲ピーター・フォン・ヘス「Napoleon’s Horse Ali by the Egyptian Pyramides」 (1817)
ナポレオンは1799年にエジプトで、アリという馬を捕獲または購入し、1800年にイタリアのマレンゴの戦いでフランス軍が勝利した後に『マレンゴ』という名前をつけたと考えられています。
マレンゴは1793年生まれ、当時6~7歳だったそう。中央競馬の感覚でいうとそろそろ引退も近い…?なんて考えてしまう馬齢ですが、実は人間でいうとまだ30歳前後といえます。競走馬に求められる能力と、軍馬に求められる能力の違いもあるでしょう。
<豆知識①>
前述のジル・ハミルトン氏は著書の中で、ナポレオンの厩舎の登録簿や資料に『Marengo』の記述が一切ないため、マレンゴというのはニックネームだったのではないか?と述べている。しかし、真実かどうかはわかっていない。
<豆知識②>
現在も、競走馬と馬術競技馬に求められる能力が違うため、馬術競技では精神的には非常に落ち着いた状態である10歳以上の馬が多く活躍する例がある。軍馬も経験豊富な馬が求められたのかもしれない。
参考記事)馬の〇歳は人間の何歳?馬の年齢についてまとめてみた!
▲アントワーヌ=ジャン・グロ「Napoleon Bonaparte’s Arab Stallion, “Marengo”」(1801)
マレンゴにはいくつもの有名なエピソードがあります。それは、130㎞の道のりを5時間で走り切ったとか、パリからモスクワまで(5600kmを超える距離!)ナポレオンを運んだとか、まさに伝説の馬!といったような話の数々です。
しかし、現在マレンゴの骨格標本が収蔵されているイギリスの国立陸軍博物館の公式サイトによれば、これらのストーリーは人々によって神話化されたもので、事実ではないであろうとされています。また、ナポレオンは1805年のアウステルリッツの戦い、1806年のイェーナの戦い、1809年のヴァグラムの戦い、1815年のワーテルローの戦いなど、有名な戦争のすべてでマレンゴに乗ったといわれていますが、同サイトは、最後ワーテルローの戦いでナポレオンがマレンゴに乗っていたというのも事実ではなく、実際には馬車から指揮を執っていたのではないかと書いています。
<豆知識③>
冒頭に掲載した肖像画「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト」についても、足場が悪い場所だったため、ナポレオンは、実際にはマレンゴに乗ってはおらず、農民のガイドに導かれ、護衛とともに、ラバ(雄のロバと雌のウマの交雑種)に乗っていたといわれる。
ナポレオン敗北後のマレンゴ、そして死後…
▲イギリスの国立陸軍博物館に展示されるマレンゴの骨格標本(DenesFeri 2011年撮影)
1815年にワーテルローの戦いでナポレオンが敗北すると、当時22歳だったマレンゴは戦利品として捕獲され、イギリスに連れていかれました。ロンドンの中心部ペル・メルで一般公開されたマレンゴは人気の展示になったといいます。27歳のときにイーリー近郊のニュー・バーンズで種牡馬となった後、1831年に馬としては高齢の38歳で最期を迎えます。マレンゴは主人のナポレオンよりも長く生きました。
亡くなった後、マレンゴの遺体は保存され、骨格標本は奇しくもワーテルローの戦いの勝者であるウェリントン公爵が設立した、英国王立防衛安全保障研究所に寄贈されました。その後1960年代にイギリスの国立陸軍博物館に移され、現在に至ります。
<豆知識④>
ナポレオン自身は1821年に亡くなったが、そのときに棺を引いたのも白い馬だったといわれている。
<豆知識⑤>
国立陸軍博物館に展示されるマレンゴの骨格標本には二つの蹄がかけており、ひとつは嗅ぎタバコの箱として警備隊の将校に与えられた。
もう一つの蹄はインク壺として将校の家族が所有していますが、現在はロンドンに近衛騎兵隊博物館に貸し出され展示されている。
<豆知識⑥>
ちなみにJRA重賞の勝ち馬の最長寿記録はマイネルダビテの36歳8か月27日!
参考記事)マイネルダビテの故郷。岡田スタッドの歴史についてはこちら
いかがでしたか?
死後、180年以上経ってもなお、人々の注目を集めるナポレオンの愛馬マレンゴ。
マレンゴの骨格標本は長い間展示されていたため、劣化が進み、生きた馬のように4足で立った状態で展示することができなくなっていましたが、2016年には大英自然史博物館の専門家を呼び寄せて、修復作業が行われています。
▲イギリスの国立陸軍博物館公式YouTubeチャンネルより(マレンゴの骨格標本修復作業/2016~2017年)
なかなか海外に出向くことが難しい昨今ではありますが、今後イギリスに行く機会があった際には国立軍事博物館まで、ぜひ足を延ばしてみてくださいね。
<参考文献・サイト>
・馬たちの33章/早坂昇治(1996年/緑書房)
・伝説の馬100頭/バラン ミリアム・著/吉川 晶造・訳(2006年/恒星社)
・「知」のビジュアル百科 49『馬の百科』/ジュリエット・クラットン=ブロック・著/千葉 幹夫・監(2008年/あすなろ書房)
・Marengo: The Myth of Napoleon’s Horse/ジル・ハミルトン(2015年/Lume Books)
・THE JOURNAL OF ICON STUDIES VOLUME 3 | 2020 (The Visual Polemic in Tolstoy’s War and Peace: Icons and Oil Paintings)