特別な日々

2018/05/02

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

大事なのは中身だよ。
とよく言うが、遭遇した瞬間にそれを見抜ける者は極々一部しかいない。大概は視覚から得る情報で、その者の良し悪しを判断する。それから中身となる訳だが、外面が良くても中身がパッパラパーなケースもこれまた多いわけで、結局のところ、その者と長く付き合わなければ真の価値は分からないのだと思う。
人間に美男美女という概念があるように、お馬さんにもそれがある。イケメンな馬、ベッピンな馬。真実を見抜く力が欠落している醜い私は、いつも美男美女ホース達に弄ばれ、散財し続けている。イケメンホースはさて置き、美女ホースにやられた時は、何故か知らないがネオン街のドブに叩き落とされた気分になってしまう。それでも貢ぐ…いや馬券を買う自分のアホさには我ながら閉口する次第である。

別荘と呼んでいる神戸の場外馬券場で、おっさん達にこれを話すと「顔が良けりゃそんなこと思わんのになぁ。」と、ボヤかれた。その時、人間のイケメンではなく、私はスペシャルウィークを思い出した。
父サンデーサイレンス、母キャンペーンガール。スラリとした体型に、キリッと凛々しい顔。そして馬場に出ればめちゃくちゃ強い。天は二物を与えずと言うが、これも先の「大事なのは中身だ」論と同様、例外なケースもあると、スペシャルウィークが教えてくれている。
いついかなる時もカッコ良かったスペシャルウィークだが、私はその中でも98年ダービーで見せた姿が好きだ。
一頭だけ別次元の瞬発力を発揮し、馬場の真ん中を堂々と突っ走った。2馬身、3馬身とリードが広がり、確勝の赤ランプが灯った時、鞍上武豊の手からムチがポロリと滑り落ちた。
デビュー期から数多の名馬を駆り、常に栄光の輝きを浴びていた武にとってこれがダービー初制覇。普段はクールな彼が、憚らず喜びを爆発させた光景は深く印象に残っている。
これを見て、私はダービー競走の偉大さを知った。
負けはしたが99年の有馬記念も忘れ難い。相手は同期の怪物、グラスワンダー。先に抜け出したグラスに向かって、外から矢の如く鋭い脚で迫ったスペシャルウィーク。勢いは完全にスペシャルだった。しかし僅か4cm、グラスワンダーの鼻が先に出ていた。
スペシャル贔屓な私は、今でも馬友達と酒を飲むと「あれは同着でも良かった。文明の進化がスペシャルのトロフィーを一個奪ったんや!」と宣うらしい。(らしい。というのは私は覚えてないからだ。お酒はほどほどにしましょう。)

父として初勝利を挙げたのは、2003年6月21日の阪神競馬場。自身の相方だった武豊に導かれ、ヤマニンラファエルが初陣を飾った。
スペシャルの仔が勝った!と、素麺を食べながら独り騒いでいたことを、昨日のことのように思い出す。
以降、シーザリオ、ブエナビスタといった女傑を我々に見せてくれた。

“Japanese superstar Cesario!”

という実況フレーズは、スペシャルファンなら一度は呟いたはず。この名台詞の誕生地となったハリウッドパークも無くなったというのは寂しい限りである。
セイウンスカイの前に涙を流した菊花賞では、トーホウジャッカルがその無念を晴らした。父に良く似たイケメンな馬だった。
GI勝ちは無いけど、リーチザクラウンも忘れられない。
臼田浩義オーナーの服を纏い、武に手綱を握られ2009年のきさらぎ賞を勝った日。頭の中では98年ダービーが4K画質で再放送され、あの日見た光景を再び観られる!と、勝手に決めつけて大いに騒いだ。

普段は口から出まかせばかり言う、オオカミ少年的な私だが、現役時代、種牡馬時代。どの場面を見ても、スペシャルウィークはカッコ良かった。と確信を持って言える。百聞は一見にしかず。まだ彼の走りを見たことがない方は、是非一度見てやって欲しい。

いつの日かボケて、自分の名前も分からなくなる日が来るだろう。
自分の名前、家の住所、昨日食べたメシ。色んなことを全部忘れても、スペシャルウィークだけは死ぬまで忘れない。

エルコンドルパサーに「俺が年度代表馬や!」と威張ってやってください。

想い出をありがとう。スペシャルウィーク。

 

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