1998年8月9日 日本馬による初の海外GⅠ制覇!

2018/08/09

カテゴリ:馬のはなし / 色々なはなし / Pacallaオリジナル

8月9日プレイバック

「今日」8月9日のプレイバックです!

今からちょうど20年前の1998年の今日は、日本馬による初の海外GⅠ制覇の日でした!
※日本調教馬。

 

シーキングザパール

初の海外GⅠ制覇の偉業を成し遂げたのはシーキングザパールという牝馬です。
94年にアメリカで生産され、日本の競走馬として活躍しました。

日本では当時「外国産馬」のクラシック競走に出走制限があったため、クラシック戦線には出走していませんが、
NHKマイルカップでは牡馬を相手に堂々の1番人気で優勝。

同期にはGⅠ5勝の名牝メジロドーベルがおり、重賞レースでの直接対決もありました。

5歳(現在の4歳)のときにフランスへ遠征し、モーリス・ド・ゲスト賞というフランスのGⅠレースを優勝しました。
しかも当時のコースレコードを更新する勝ちっぷり。

シーキングザパールは現役引退後、地元アメリカに戻り繁殖生活を送ります。
産駒はわずか3頭という短い繁殖生活でしたが、初仔のシーキングザダイヤ(牡)は日本で現役を送り、重賞勝ち馬として種牡馬になっています。
残り2頭の牝馬もアメリカで現役時代に勝ち上がり、2頭とも繁殖牝馬として繋養されています。

惜しくも2005年に死亡していますが、日本馬による初の海外GⅠ制覇を成し遂げた名牝として日本競馬ファンの記憶に残る存在となりました。

 

日本馬による海外挑戦の長い歴史

シーキングザパールが勝つまでに、日本馬による海外挑戦には長い歴史がありました。

過去を遡れば、日本中央競馬会(JRA)が発足する以前の戦前、ロシアでの競争に日本馬が出走した記録が残っています。
当時日本では馬券の発売が法令で禁止されていた時代であり日本競馬は落ち込んでいたため、海外とは言え競馬に参加出来ることに当時の競馬関係者は喜んだそうです。

近代では戦後JRAが発足した1954年にアメリカのレース、ワシントン国際(国際招待競走)へ招待されます。
JRAは当時の年度代表馬(初代年度代表馬)のハクリョウを出走させようとしますが、輸送の問題から実現しませんでした。

 

初の重賞制覇へ

その数年後、ダービー馬であり、天皇賞や有馬記念を優勝した当時の最強馬ハクチカラ(殿堂馬)がアメリカへ本格挑戦します。
渡米直後は成績が上がりませんでしたが、1959年、11戦目にしてワシントンバースデーハンデキャップというレースで優勝。
これが日本の国産馬による、初の海外重賞制覇でした。

しかし、ハクチカラは既にアメリカの調教師のもとで調教を受けている転厩馬という扱いでした。
日本調教馬による重賞制覇はもっともっと先の話になります。

 

海外遠征暗黒の時代

ハクリョウが参加出来なかったワシントン国際への招待が続き、JRAは1962年から立て続けに日本馬を挑戦させます。
18年間で合計9回の挑戦がありましたが、最高成績がスピードシンボリの5着。それ以外は1着から数十馬身差の惨敗でした。

80年代に入り、JRAは「世界に通用する強い馬づくり」のために、81年にジャパンカップを創設します。
ジャパンカップは日本で初の国際GⅠとなり、格付けとしても八大競走と同格として扱われます。

80年代は世界の強い馬との対決に加え、
馬の血統、馬の管理、飼料、調教施設、輸送方法など、あらゆる面で日本が海外競馬に劣っている部分が見直されました。

当時の日本競馬を牽引していたシンボリ牧場の和田共弘氏、社台グループの吉田善哉氏がそれぞれ、シリウスシンボリ、ギャロップダイナを長期ヨーロッパ遠征に向かわせましたが、勝ち星を挙げることが出来ませんでした。

86年には、日本競馬史に残る最強馬、”皇帝”シンボリルドルフがアメリカのレースへ挑戦するも勝てず。
日本が誇るシンボリ牧場、社台グループが本気を出しても勝てない海外の壁に直面し、
87年のシリウスシンボリの遠征以降、日本馬による海外遠征は止まってしまいます。

 

ハクチカラ以来の重賞制覇

しかし、数年後に日本馬の海外挑戦にふたたび活発になります。
きっかけは香港で国際競争が発展したことでした。

今でこそ毎年末になると日本馬が参戦する香港国際競走ですが、
当時は香港/マレーシア/シンガポール地域の対抗戦として始まりました。
その後毎年招待国を増やし、日本馬も93年に初参戦します。

日本馬にとっては6年ぶりの海外遠征でした。

そして2年後の95年、フジヤマケンザンが香港国際カップで優勝します。
ハクチカラの重賞制覇から数えて、実に36年ぶりの日本馬による重賞制覇でした。

また、ハクチカラは当時アメリカの厩舎で調教されている馬だったため、
フジヤマケンザン優勝時の、すべて日本人スタッフの日本調教馬としては初の重賞制覇だったのです。

フジヤマケンザンの調教師の森秀行師は、当時から積極的に海外遠征を視野に入れていた調教師でした。
森調教師、この方が後に日本調教馬による初の海外GⅠ制覇を成し遂げるシーキングザパールの調教師なのです。

香港国際カップは当時国際GⅡの格付けでしたが、99年には国際GⅠの格付けになっています。

 

そして現在

昨今の日本競馬においては、毎年のように世界のビッグレースに出走するようになりました。

未だに凱旋門賞の勝利こそありませんが、各国のレースで優勝の実績を積み重ねています。
さらに最近では、アメリカのクラシック競走への参戦したラニや、
ロンジン・ワールド・ベストレースホース・ランキングで世界1位の評価を受けたジャスタウェイ、
ディープインパクト産駒が仏ダービーを優勝するなど、
日本競馬のレベルが世界に全く見劣りしない状況になってきました。

こうした現状は多くの先人や多くの競走馬たちの経験の蓄積に加え、常に挑戦する姿勢を持つ競馬関係者の方々の功績だと思います。
今後も海外レースで活躍する馬が出てくることを期待したいと思います。
そしていつか凱旋門賞の呪縛から解き放たれることを願います!

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