踊り子の名血

2018/05/11

カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル

名門一族を形成する肌馬と宝くじの一等前後賞。
果たしてどちらの方が、当たる確率が高いだろうか?という愚にも付かない問答を、馬券発売開始を待つ間に考えてみた。
そんなもん答えは決まっている。前者、宝のような肌馬である。宝くじは辛抱強く買ってりゃ、いつの日か必ず当たる。諦めてはいけません。(私は300円しか当てたことがないけど…)

しかし、肌馬は大金を湯水の如く費やしても、必ず当たる保証はない。良血馬、或いは卓越した競走成績を残した馬を買えば可能性は高まるかも知れないが、ダンシングキイを思い浮かべてしまうと、その論はアッサリ破綻する。
ニジンスキーを父に持ちアメリカで産まれたダンシングキイ。立派な血統背景を持つ彼女だったが、手元にトロフィーは一つも無く、競馬場に脚を踏み入れたことすらなかった。いわゆる未出走馬と呼ばれる馬である。
もしもニジンスキーの娘が彼女だけなら、世界のホースマン達は目の色を変え、嫁ぎ先に立候補していただろう。しかし、ニジンスキーは一系統を築き上げた大種牡馬。確かな競走成績を残したチルドレンは、世界中に存在していた。

もしも、あなたが大富豪でニジンスキーの子を肌馬として買うなら、どちらを買うだろうか?
大方は、未出走馬ではなく競走成績のある馬を買うと思う。ミーハーで世俗の意見に流されっぱなしな私などは、ヘラヘラしながら「成績を残したお馬さんをくださいな。」と、アホみたいな面で買いに行くに違いない。
アホがいれば賢人もいるのが浮世の常。確かな目と無尽蔵の知識を有した者は、外貌の良否ではなく、内包された可能性を見抜こうとする。
ダンシングキイは社台ファームに可能性を買われ、遠路はるばる日本へやって来た。

するとどうだ。エアダブリン、ダンスパートナー、ダンスインザダークといった名馬を次々と我が国の競馬場へ送り込み、瞬く間に名馬の母という地位へ駆け登ったではないか!

「おっちゃん。この馬は未出走馬やからアカンわ(笑)」

と、店先で嘲笑い、彼女を無視したホースマンの顔を見てみたいものである。

名門一族の母となったダンシングキイが、晩年に産んだのがダンスインザムードだった。
父はパートナー姉ちゃん、ダーク兄ちゃんと同じサンデーサイレンス。
纏う服は、泣く子も一気に成人し、馬券を買って黙り込む社台レースホースの服。
所属先は美浦の名門、藤澤和雄厩舎で、手綱を握るのは岡部幸雄、武豊といった名手…。まさに良家のお嬢様。芦屋の山側あたりを探しても見つからないだろう。

しかし、このムードさん。ちょいと気が荒いお嬢様だった。無敗で桜花賞を制覇したまでは良かったが、その後挑んだオークスで4着に敗れて以降、なかなか勝ち星を挙げられない日々が続いた。
尻尾をプロペラのように回して走る姿は、実に愛くるしいものだったが、競走馬は勝たなくてはならない宿命を背負ったお馬さん。愛くるしいだけでは生きていけないのである。

「ええか、兄ちゃん。ボンやお嬢て呼ばれとる連中は、いっぺん傷付いたらなかなか立ち直られんのや。」

とは、別荘の住人である自転車屋のオヤジの弁である。
続けて放った「ワシみたいな者は、どこに傷があるかも分からへんけどな(笑)」という情けない弁はさて置き、それなりの地位にいる者にしか分からない葛藤がある。という事実が存在することについては私も同意する。

ダンスインザムードも葛藤に苛まれていた。それでも弱さを見せず、あらゆる路線の猛者共に食って掛かる彼女に、朗報が届く。

2006年。牝馬限定のGI、ヴィクトリアマイル新設。

舞台は東京で、距離はマイル。願っても無い条件のレースに、ダンスインザムードは挑戦状を叩きつけた。

2006年5月14日、第1回ヴィクトリアマイル。こけら落とし公演に相応しいメンバーが、春の府中に集まった。ダンスインザムードは2番人気に支持された。手綱を握るのは藤澤の愛弟子、北村宏司。同じ厩に所属する頼れる兄さんと共に、再びの栄光を目指して馬場へ飛び出した。
1枠1番という枠を最大に活かし、道中はロスなく立ち回った。直線も最内に活路を求めた。しかし、前を行くコスモマーベラス、マイネサマンサがその道を塞ぐ。ムードが社台ファームのお嬢様なら、マーベラスとサマンサはビッグレッドファームのお嬢様だ。名門の令嬢達の争いは、ややともすれば野郎の接戦よりも熱量があると見られる。私みたいなヘッポコ野郎が馬なら、その熱量に恐れおののき埒外へ逃げ出すだろう。

万事休すか…。

普通なら諦めるシーンである。ただ、藤澤厩舎で鍛え上げられたダンスインザムードは、そんなヤワなお嬢様ではなかった。
一瞬開いた隙間を逃さず、そこへ鼻先をねじ込んだ。タイトな状況には変わりない。しかし、この状況がムードの闘志に火をつけた。
誰よりも先に前へ出るという欲求を我慢させ、レースでそれを一気に解放させる。という、”馬なり”の教えが、彼女の四肢を逞しく動かした。
スパンッとキレて、一気に抜け出す。かつてのフィアンセ、武豊に導かれたエアメサイアが外から飛んできたが、ヒロシ兄ィと人馬一体となった彼女に追いつくことは出来なかった。

師匠が育てた馬で、初のGI制覇を成し遂げた北村宏司。そんな愛弟子に、師匠は一言声を掛けた。

「ちょっと追い出すのが早かったな。」

…祝福の言葉も無しかよ。と、ドライな感じに見て取れるが、藤澤は北村がGIを勝つことを確信していたのだと私は思う。だから賛辞の言葉より、もっと上を目指せ。と、弟子に教えを説いたのだろう。まさにプロフェッショナルな師弟関係である。

ムードお嬢様も、今は母として暮らしている。自身を超えるような子孫達にはまだ遭遇していないが、彼女を無下にするような輩は、もういないだろう。

なぜなら、ダンシングキイの血は、必ず名馬を産み出す可能性を秘めているからだ。
末長く大事にされますように…。

追伸
ダンスインザムードの事を長々と書かせていただきましたが、私はダブリン長兄が一番好きです。彼が人なら、朝まで美味い酒を酌み交わせると思う。

「ボクはGIを勝ってないから、アイツは愚兄や。て陰口を言われるんや。」
「わかるなぁ。俺も愚兄とか一族の恥部てよう言われる。」
「辛ないんか?」
「全然。”そんなん言う奴は、俺よりロクでもない奴や。”と思うたら、誰に何言われても関係あらへん。」

 

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