思い出のライバル関係
2017/08/17
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
みなさんこんにちは。編集部のすもーる青木です。
先日世界陸上ロンドンが閉幕しましたね!
ボルトは最後まで王者のまま引退するかと思いましたが、
まさかまさかの敗退でした。
100M 決勝でジャスティン・ガトリンがボルトに勝った瞬間はすごかった!
ここ最近ガトリンはずっとボルトの後塵を拝してばかりでした。
元々世界的に最初に名声を得たのはガトリンです。
04年のアテネ五輪、05年の世界陸上と100Mで連続金メダル。
それが08年の北京五輪で彗星のごとく現れたボルトから勝てない日々が続きます。
今回の世界陸上でボルトは引退を宣言してましたから、
ガトリンにとっては最後のチャンス。
今回ボルトに勝てなければ、ガトリンがボルトより速いことを証明する機会は二度と訪れなかったかもしれません。
ボルトに勝って欲しい気持ちもありましたが、
ガトリンの勝利は胸にこみ上げるものがありました(T^T)
そんなレースを見て思ったのが競馬でのライバル関係。
様々なライバル関係を築いた名馬達がいますが、
今回はガトリンのレースに影響を受けた関係でライスシャワーをご紹介です!
ライスシャワー x ミホノブルボン
ライスシャワーとミホノブルボン。
ボルトとガトリンの100M決勝を見て最初に思ったのがこの2頭です。
92年の牡馬クラシック戦線。
当時のミホノブルボンは調教によってバリバリ鍛え上げられた最強馬。
朝日杯を優勝後、無敗で皐月賞、ダービーを制覇。
一方のライスシャワーは、皐月賞トライアルのスプリングSと皐月賞ともにミホノブルボンに敗れ、
ダービーでは16番人気。
ダービーではライスシャワーが2着に入ります。
しかし優勝したミホノブルボンからは4馬身差。
この段階ではとてもライバル関係とは言えないかもしれません。
しかし夏が明けてからライスシャワーが進化します。
セントライト記念では後のジャパンカップ馬 レガシーワールドに続く2着。
京都新聞杯ではミホノブルボンに負けはしましたが1.1/2馬身差の2着。
そしてクラシックラストの菊花賞でライスシャワーがミホノブルボンの三冠達成を阻止するのです。
当時のこのレースを生で見てはいないのですが、
ダビスタの影響でライスシャワーが好きになり、
何度もこの菊花賞は見ました。ラスト1Fは競馬史に残る名場面だと思います。
ミホノブルボンはその後故障し引退してしまいます。
結果的に見ればライスシャワーはあの菊花賞でミホノブルボンに勝たなければ、
ガトリンと同様、その後に機会はなかったかもしれないのです。
ダビスタ98にかぶりつくように熱中していた当時、
ステイヤーが好きでたまらなかった私はライスシャワーにぞっこんでした。
菊花賞を勝った後、メジロマックイーンの天皇賞春3連覇を阻止。
その後は勝てない期間が続きましたが、95年の天皇賞春を勝利し、
名ステイヤーの地位を確立しました。
種牡馬入りも検討されていたそうですが、
その後の宝塚記念のレース中の故障により予後不良となってしまいます。
ステイヤーの血を見かけることが少なくなった昨今、
今でもライスシャワーが種牡馬になっていたら、、、
なんて考えることがあります。
産駒は残せませんでしたが、記憶に残る名馬であったことは間違いありません。
得意としていた京都競馬場には記念碑が立てられ、今でもファンの方の献花があるそうです。