1941年10月26日 日本初のクラシック三冠馬『セントライト』誕生

2020/10/26

カテゴリ:馬のはなし / 色々なはなし / Pacallaオリジナル

10月26日プレイバック

「今日」10月26日のプレイバックです!

昨日、コントレイルが全戦無敗での牡馬三冠を達成したばかりですが、
1941年の今日は、『セントライト』が日本初のクラシック三冠を達成した日です。

 

【セントライト】

1938年4月2日生まれ/父:ダイオライト/母:フリツパンシー/母父:Flamboyant
馬主:加藤雄策/生産者:小岩井農場
生産成績:12戦9勝/獲得賞金:87,150円

 

 

1941年、日本初のクラシック三冠馬誕生!

クラシック三冠馬とは3歳馬のみが走る皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞、
この3つのクラシックレースをすべて制した馬のことをいいます。

これまでにクラシック三冠を達成した馬は、セントライト・シンザン・ミスターシービー・シンボリルドルフ、
ナリタブライアン・ディープインパクト・オルフェーヴルの7頭です。

7頭のうちの1頭、セントライトは、1941年に日本競馬史上初のクラシック三冠を達成しました。

 

第二次世界大戦中のクラシック三冠達成

この頃はちょうど第二次世界大戦中であり、軍馬育成の観点からは、
競走馬には体高164㎝以下でないと出走できないという体高規制がありました。

セントライトは体高が166cmあったため、この規定に引っ掛かるところでしたが、
直前に規制が撤廃され、競走馬になることができました。

しかしセントライトは体重も重く、500キロ近くで大柄であったため、
仕上がりが遅いと判断されたのか、デビュー戦では12頭立て7番人気でした。

ところが、結果は楽勝。単勝は法定最高の10倍、200円の大穴となりました。

 

クラシック初戦の皐月賞では、同期の最高額馬であるミナミモアを抑えて一番人気に。
結果は3馬身差をつけ優勝を果たしました。

東京優駿(日本ダービー)では同馬に1番人気を譲って2番人気になりましたが、
レースは好位を追走し、直線で先頭に。圧倒的な強さを見せました。

結果は2着のステーツに8馬身の差をつけての大楽勝!
この着差は東京優駿(日本ダービー)史上最大記録となっていて、未だその記録は破られていません。

直線の最後では小西喜蔵騎手がどのくらい離れているのか後ろを振り向いて
確認するほどの余裕があったといいます。

 

そして、三冠最終戦となる菊花賞。
出走馬は、東京優駿(日本ダービー)でセントライトと1着を競ったミナミモア、
オークス優勝馬であるテツバンザイを含めた計6頭で、セントライトは1番人気でした。

レースでは、2番手の先行策から、ゴールではミナミモアに2馬身半差を付けて堂々の1着
初のクラシック三冠を達成したのでした!

 

1947年、セントライト記念の創設

この当時は、強い馬には容赦無く負担重量を増やしたため、セントライトにはもう出られそうな
レースが無く、三冠達成後は引退し、種牡馬になり天皇賞馬を2頭、菊花賞馬を1頭輩出しました。

そして1947年、日本競馬史上初となるクラシック三冠馬であるセントライトを記念して
中央競馬の重賞競走(GII)であるセントライト記念が創設されました。

 

昨日コントレイルが史上8頭目の3冠馬になりましが、
いずれコントレイル記念ができる日もくるかもしれませんね!

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