黄金色の超光速粒子
2018/03/02
カテゴリ:馬のはなし / Pacallaオリジナル
競馬は色んなことを教えてくれる。
人生の凌ぎ方から、地理、歴史上の偉人、草花や天体の名前といった学問的な分野まで。先達の話を聴くより、教科書を開くより、丸一日競馬を見ていた方が勉強になるだろう。(受験生よ、もしも花咲かずとも案ずるな。次の春を目指す道中、息抜きがてら競馬場に来い。一緒に馬を見よう。)
科学の学問を教えてくれた馬もいた。
父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ。兄貴はダービー馬のアグネスフライト。黄金色の毛色も相まって、直視出来ないくらいの輝きを放っていたその先生の名は、アグネスタキオンといった。
タキオン。夜空を見上げると、似たような名前のプロキオンという星があるが、タキオンは天体ではない。
超光速で動くと仮定されている粒子。これがタキオンの正体とされている。今のところ、我々の暮しに直接的な影響を与えていないが、この粒子はなかなか面白い性質を持っている。
どんなに頑張って動いても光速に達しないターディオンという粒子に対し、タキオンはどんなに頑張っても光速以下にならないという。つまり、この粒子として世に生まれた以上、常に光より速く動くことしか出来ない。ちょっと疲れたから並みの速さで…なんてことも許されないのだ。
アグネスタキオンは、まさにそのタキオンだった。
デビュー戦は、33秒台の上がりを叩き出しレコードV。手綱を握っていた河内洋は、あまりの素質に快哉を叫んだという。
何じゃこの馬は!!
河内が激情家なら別段驚くことはないが、普段の彼はジョッキーとして、一社会人として模範的な男である。そんな男が人目憚りもなく興奮の様を表した。手綱を通じて感じた高揚感を物語るエピソードである。
名手が感じたそれは確かなものだった。2戦目のラジオたんぱ杯3歳S。後のダービー馬ジャングルポケット、マイルカップ、ジャパンカップダートで奇天烈な強さを見せつけるクロフネに影も踏ませず勝利。
あ、三冠馬だ。
この時のアグネスタキオンを見た誰もが、21世紀最初の三冠馬誕生を確信した。
年が明けて2001年。21世紀となったこの年、研究室ではなく芝生の上で、我々人類はついにタキオンの正体を目撃することが出来る。私は、世の学者先生達に、白衣を脱ぎ捨て競馬場に来い。と言いたくなった。
何はともあれまず一冠。皐月賞を目指すべくアグネスタキオンが選んだレースは弥生賞だった。
出走馬は8頭だったが、挑んで来た馬は才能豊かな若駒ばかりだった。
お前がダービー馬の弟なら俺だってそうだ!というのはボーンキング。鞍上は”弥生賞男”武豊。マイルの名牝ノースフライトの息子、ミスキャスト。後に世代交代宣言を高らかに叫ぶマンハッタンカフェ…。
この強力なライバル達に加えて、天までアグネスタキオンに試練を与える。
発表された馬場状態は不良。柔らかな春陽が降り注いでいたが、馬場は極悪状態と化していた。
簡単に事を運ばせるものか。天と地、それぞれから圧力をかけられた超光速粒子が、弥生の芝生に飛び出した。
デルマポラリスがハナを切り、番手にボーンキング。この2頭が後続を離して、レースを展開する。アグネスタキオンは3番手。河内と息を合わせマイペースに進んだ。
3コーナーの中間地点。河内の手が僅かに動いた瞬間、タキオンは加速運動を開始する。あっという間に前の2頭に取り付いた速さは、まさに超光速。ワープという表現が相応しい走りだった。
馬場の良い外へ出した河内。そこへ内から武が競りかけてくる。しかし、超光速に達した黄金色の粒子は、”サラブレッド”を相手にしなかった。
着差は5馬身。トリッキーな中山コース、極悪馬場という若駒には酷な条件も、アグネスタキオンの前には関係なかった。
その後、アグネスタキオンは皐月賞を制し一冠目を獲った。
“順当”という競馬界に存在しない言葉を、自らの走りで体現させた彼の走りから我々は、続くダービー、そして菊花賞、有馬記念までブチ抜いて、世界へ…。という空想を愉しむ機会を得た。
アグネスタキオンにアクシデントが発生したのは5月2日、ダービーの3週間前のことだった。屈腱炎。この不治の病に肩を叩かれ、タキオンはターフを去った。
先に触れた通り、タキオンという物体はいまだに存在が不確かな仮定の粒子である。文明が発達し続ける今日、そう遠くない未来にその正体が明かされる日が訪れるだろう。
しかし。馬の姿をしたタキオンの正体が判明する日は訪れないと思う。
もしも、怪我さえなければ…。
それぞれの競馬ファンが空想するこの先に、答えはあるだろうか?
なんてことを考えていると、もう17年前の話なのに、私はまだワクワクしてしまうのである。