ムジカ秋華賞出走
2018年4月29日 第157回天皇賞・春・G1
ガンコで挑んだ大一番
G1レースの重みや興奮を肌で感じ、レース後ターフの中で行われた表彰式、杉澤光雄社長と、唇を噛み締めずっと見ていました。
杉澤「また、G1に出たいね。次はあそこの場所に立ちたいな」「頑張って強い今生産してな、俺も協力するから」
光雄社長と約束した京都競馬場での天皇賞。
遡ること2015年10月26日JS繁殖セール
杉澤「繁殖買ってくれないか?」
前谷「社長来ないんですか?」
杉澤「行けないから、好きなの買ってくれるか?」
前谷「・・・。了解しました。」
杉澤「今年は繁殖セール前は日本にいるんでしょ?笑」
前谷「前回は申し訳ありませんでした。」
(2013年ヨーロッパに行っていて、繁殖セールの前日に日本に到着して、代理購買する予定が、飛行機の遅延により、繁殖セールの夕方に到着。苦笑)
ローズアダージョに目をつけ、電話したところ、
前谷「ディープ肌でカナロア受胎しているの良さそうですが、写真送りますか?」
杉澤「あんたに、任せたから気に入ったのかってくれ笑」
前谷「了解!セリ始まったら連絡しますね!」
いつもながらの、やり取りで無事にムジカの母ローズアダージョを買っていただき、前谷牧場に来ました。
杉澤オーナーとは、ディープの肌が欲しいねと話していたので、よい買い物が出来ました。
『俺がディープの繁殖持てるなんてなぁ』と話す光雄社長は、本当に嬉しそうでした。
ローズアダージョ
父ディープインパクト、母父サドラーズウェルズ
母の半姉に、英オークス、愛ダービーを制したバランシーンがいますし、半姉モーニングフェイズは忘れな草賞勝ちがいる血統!
幼少期のムジカは、小柄で脚長、けして良い体型とは思わなかったですが、歩いた姿や、放牧地を駆ける姿は、身のこなしが柔らかく、いかにも運動神経が良さそうだなと思っていました。定期的に馬を見にくる鈴木孝志調教師も一か八か。メチャクチャ走るか、全然走らないかだね。と話していたのを覚えています。
血統的にも期待されていたムジカ、デビューを楽しみにしていました。
デビュー戦、気難しい面を見せての6着から、初勝利までに8戦走りました。
3戦目に最後方から直線凄い末脚で追い込んだ時には、光雄社長が『やっぱり走るな楽しみだな』と嬉しそうに話していたのが、印象に残っています。
終い確実に脚を使うのですが届かず、2着3着が続きました。
誰よりもムジカに期待を寄せ、成長を楽しみにしていた光雄社長が、ムジカの初勝利を見ることなく、今年3月、72歳で病気のため亡くなりました。
牧場に帰ってきて間もない、実績もまだない私を信頼して繁殖を預けてくれたり、生産馬も買ってくれました。
馬主歴18年ガンコで念願の重賞勝利の瞬間に立ち会えました。
地元函館で一緒に口取りもできました。
この8年の間、良い事は一緒に喜んで、悪い事があった時は陰ながら支えてくれた光雄社長が、こんなに早く亡くなるなんて、突然の訃報に、驚きと深い悲しみでいっぱいでした。
5月24日にムジカが初勝利をあげるのですが、
「前谷君、俺死んでから俺の馬未勝利だけど、何やってんのよ〜(笑顔)やっぱり俺がいないとダメだなガハハハ〜笑」っとムジカが初勝利をあげるレースの数日前に光雄社長が夢に出てきました。
名義がケーエスHDに変わっての初勝利。
きっと光雄社長が「頑張れよ、俺の分も頼むな!真吾を頼んだぞ!」って後押ししてくれたんだろうなぁ。
ムジカが未勝利を勝ち、鈴木孝志調教師は、「これで、胸張って杉澤さんのお墓参りに行けます」が、印象に残っています。余程初勝利が亡くなった後だった事に悔いが残っていたのでしょう。
光雄社長がよく私に言っていた、成し遂げたい事を願っていれば実現すると。
私も、また光雄社長とG1の舞台にと日々願っていました。
光雄社長が残してくれたムジカが、G1挑戦という夢を掴んでくれました。
約束の地、京都競馬場で行われる第25回秋華賞へ。
光雄社長の意思を受け継いだ真吾社長とG1優勝の夢を実現した時は天国の光雄社長は、よくやったって喜んでくれるんだろうな。
なんか記事書いてたら泣けてきた。
光雄社長。天国からムジカの走りを後押しして下さいね。
ムジカファンの皆さん、全力応援宜しくお願い致します。
※ガンコで勝った日経賞
※日経賞の祝勝会
※地元函館での口取り
※ガンコの天皇賞レース後
※1歳のムジカと光雄社長
※ムジカ1歳時に光雄社長と遊びで作った画像