一競馬ファンから生産者に 生産牧場開業までの道のり1
こんにちは。
Horsy Coffee Houseの藤原です。
Pacallaに参加するにあたりまず記事にして書き記そうと思っていたことがあります。生産牧場として独立するまでの経緯です。
参加する前にパカラ編集長とお会いして、冗談半分で
「何時つぶれるか分かりませんが、それまでは頑張ります」
と言ったところ
「うまくいくにしろ、残念な結果になってしまうにしろ、少なからずいるであろう生産者になりたいという若者の何らかのモデルになりますよね。」
とおっしゃってくださいました。
現在Youtubeチャンネル「Horsy Cafe」では、馬の日々の様子や生産牧場の仕事、サラブレッドの血統について動画を上げています。チャンネル内でも独立するまでの思いや経緯を動画に出来ないかなと考えたのですが、文字媒体に記すのが一番だなという結論に至りこの記事を書いています。
私が競馬に一番最初に触れたのは1993年の有馬記念です。今やウマ娘のおかげでより知られるようになった“トウカイテイオー奇跡の復活レース”です。
高校生だったので馬券は買ってませんでしたが、訳も分からず見たこのレースで一瞬で虜になりました。それからは毎週のように競馬を見て、いつかは競馬の世界に飛び込みたいと思うようになりました。どうせなら自分でトウカイテイオーみたいな馬を作ってみたいと思うようになり、自ずと将来の夢が生産者となりました。
馬の事など全く知識もなく、北海道の日高地方で競走馬を生産していることは直ぐ分かったのですが、どんな風に競走馬を育てていくのか想像も出来ませんでした。直接生産界に飛び込むことも考えましたが、馬の事を勉強できるところで馬の事を少しでも知りたいと思い、畜産系の大学に進みました。
馬も扱っている研究室に所属し日々の馬の世話の中でサラブレッドや道産子など品種による違いや特性も知ることが出来ました。また長期休みには牧場でアルバイトをしたり、友達と海外競馬を見に行き欧米の競馬がどのようにされているのか?どのような場所で生産されているのか?などを直接見聞きできたことは今でも大きな宝物となっています。
卒業後は浦河町の生産牧場に就職しました。生産の一通りのノウハウを学び、場長も経験させて頂きました。その間も生産者になりたいという夢は持ち続けていました。
しかしこの世界にツテやコネのない人間が生産者になるということは、安定した生活を捨てて裸一貫からスタートする事になります。その一歩がなかなか踏み出せませんでした。場長として現場を任せていただいていたので、その責任とやりがいもあり、独立への一歩がとにかく重たいものでした。
しかし40歳も過ぎて、このまま独立しなかったら間違いなく後悔するという気持ちが強くなりました。
だから独立することに一歩を踏み出すわけではなく、独立することを挑戦する事に一歩を踏み出そうと敷居を下げてみました。挑戦してみた結果独立開業までたどり着けなかったらそれだけの事で、挑戦できたということは夢に対して何らかの事が出来たので後悔の気持ちも少なくなるだろうと考えました。
そのことをまず家族に伝え一緒に挑戦してくれることになりました。
それから次に勤め先の牧場の社長にそのことを伝え、引継ぎが済んだら辞めたいと相談しました。次の職の目途がたってから転職をするのが普通なのかもしれませんが、まず社長の理解を得たいという思いからこのような形を取りました。
そこからまず私が最初に向かったのは・・・、つ、づ、く。
日々の牧場での奮闘記は
Youtubeチャンネル「Horsy Cafe」で公開中です。そちらもよろしくお願いします。
頭絡ようやく見つかりました。
灯台もと暗しでした。放牧地入り口から10メートルほど離れた草の禿げた泥の中に転がっていました。
見つかるまでに一週間かかりました。